序論

 マクロとミクロを結ぶ量子化学

1.はじめに−量子化学の魅力と重要性

(1)現代と未来の科学・技術を支える量子化学

物質科学・物質工学は,現代科学技術の核心をなすものである。

エネルギー・環境・生命・情報など,人類社会の未来を担う科学技術も,物質科学・物質工学によって支えられている。

物質の構造と性質を深く理解し,有効に活用するためには,それらの物質を構成する分子の世界にまで立ち入って研究し,その知識を基盤に据えなければならない。

たとえば,半導体工学などでナノテクノロジーという言葉が最近使われている。ナノはnm(m)のことで,たとえば固体表面で原子・分子を1個ずつ観察したり,制御して積み上げたりする技術が開発されている。

超伝導体・セラミックス・有機高分子をはじめ様々な新材料の開発にも,レーザーを用いる光情報処理技術にも,生物学・農学・医学の分野にも,そのほか基礎と応用のあらゆる分野で,分子の個性と電子の働きを究極まで理解し活用することが必要となっている。

 量子化学は分子の世界の現象を解きあかす量子力学の基本法則を踏まえて,実験と理論の総力を結集して物質の多様な個性を研究する学問であり,分子科学と総称される広い学問領城の中核に位置している。(ムービー1-1


(2)分子科学の二つの側面: マクロの世界とミクロの世界ムービー1-2

われわれ人間はマクロの(巨視的)世界に住んでいる。

この世界は宇宙から微生物ぐらいまで大小さまざまなスケール



にわたっているが,たとえばmとかkgという単位で測れるような物体の集まりである。

それと対照的に,量子化学で取り扱う分子・原子・電子などのスケールはÅ(m-10)ぐらいである。

また電子の質量は10-30kgぐらいであり,まさに「桁はずれ」に小さいスケールである。このような世界をミクロの(微視的)世界とよぶ。

われわれの周辺にある物質に含まれるミクロの粒子の数も膨大である。

化学反応を実際に行っているのはミクロの世界の分子であるが,われわれは「モル」という単位を用いて,1023個という天文学的な数が日常の計算に現れるのを巧みに避けている。

アボガドロ定数は,



は,ケイ素単結晶の格子定数をX線干渉計により精密に測定することによって



7桁の精度で測定され,ミクロの世界とマクロの世界とを橋渡しする基礎物理定数の一つとして重要な役割を果たしている。

ムービー1-3

様々なマクロの物質の機能は,それを構成する分子の個性に起因し,分子の個性はその中に存在する多数の電子の働きに起因している。

ムービー1-4

マクロの世界の物体の運動を理解するのに古典力学が必要なように,ミクロの粒子の運動を理解するには量子力学が絶対に必要である。