第11章−分子の回転

 気体中の分子は直線運動と衝突運動を繰り返している。(パターン11-1ムービー11-1)

同時にくるくると回転運動をしている。分子中の電子の運動,原子の振動運動とともに,この回転運動のエネルギーも量子化されている。(ムービー11-2

そのエネルギー準位の間の遷移を直接起こさせるのはマイクロ波から遠赤外線の領域の電磁波である。

この章では回転運動のエネルギーがどのように記述できるのか,回転スペクトルを解析することにより分子のどのような情報が得られるのかを学ぶ。

1.回転運動のエネルギー

(1)直線運動と回転運動(パターン11−2ムービー11-3

 物質の運動は大きく直線運動と回転運動に分類できる(図11-1)。第2章の(2.1)式に示したニュートンの第2運動法則を再び記すと

(11.1)

である。

物体に外力が働かなければ(すなわち),スピードと方向を保った直線運動(あるいは静止状態)を続ける(であるから= 一定となる)。

この直線運動を特徴づけるのが運動量である。

運動量は質量と速度を掛けた量であり,次のように表される。

(11.2)



 運動量は直線運動の激しさを表す物理量と考えてよい。

同じ速度なら質量が大きいほど,同じ質量なら速度が大きいほど物体に衝突したときの効果は大きい。

 次に回転軸から一定の距離()にある物体の回転を考える(図11-1(b))。

回転のスピードを変化させるのは回転の接線方向の力である。

この回転運動の方程式は(11.1)式にを掛けたものである。

すなわち

(11.3)

ここで太字は方向と大きさを持つベクトル量であることを示す(すなわちx,y,z方向の三つの成分をまとめたものと思えばよい)*1。

軸まわりの回転の角速度をωとすると

(11.4)

と表される。

ここでは回転軸上の単位ベクトルである。

(11.4)式の関係を(11.3)式に代入すると

(11.5)


となる。

のベクトルは回転軸の方向にあるので,と書ける。

これを用いて (11.5)式を書き直すと

(11.6)

となる。

Nを力のモーメントあるいはトルクという。

回転のスピードを変化させる要因がこのトルクである。

 物体にトルクが働かなければ(N=0),Lは一定となる。

このLを角運動量とよぶ。

すなわち角運動量は回転運動の激しさを表す物理量である。(11.6)式のをまとめると

(11.7)

であり,

(11.8)


と書ける。

Iを慣性モーメントとよぶ。

(11.2)と(11.8)式を比較すると,直線運動での質量を慣性モーメントに,速度を角速度に置き換えただけで,形式的には同形の回転運動の方程式を導けることがわかる。

 直線運動を加速したり減速するのには力が必要であり,与えられた力に対して速度を決めるのが質量である。

一方,回転運動のスピードを変化させる要因がトルクであり,同じトルクを与えたとき,回転のスピードを決めるのが慣性モーメントIであるといえよう。(パターン11-3)(図11-2

 直線運動のエネルギーは既に第2章1節の(2.2)式で述べたように

(11.9)

と書ける。

同様に回転のエネルギーは

  

 (11.10)

となる。

エネルギーに関する(11.9)と(11.10)式の間にも同形の関係があることがわかる。

*1−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 ベクトルの掛け算を外積という。とするとCの方向はでできる平面に垂直で,からに回す右ネジの進む方向である。ベクトルの成分の間にも規則的な関係がある。たとえば,である。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

(2)慣性モーメント

 慣性モーメントとは回転の軸からどの程度の質量の物質が,どの程度離れた距離にあるかを示す量である。

たとえば,同じ半径を持つ自転車の輪のようなものを想像してみよう。

輪の部分が鉄でできた輪と,プラスチックでできた輪では,前者のほうが同じ回転のスピードを得るのにより大きなトルクが必要である。

同じ材質の輪であれば,半径の大きい輪のほうが大きいトルクを必要とする。

この違いが慣性モーメントである

 多原子分子の慣性モーメントは一般的に

(11.11)

と定義される。

ここでは原子iの質量,は重心からの距離である。二原子分子の場合,(11-11)式は

(11.12)



と書き直すことができる。

ここでμは(10.6)式で定義した換算質量であり,rは原子間距離である。

(3)角運動量と回転運動の量子化(パターン11-4)(ムービー11-4

 ミクロの世界では回転運動も量子化され,エネルギーが飛び飛びになっていることは実測のスペクトルからわかる(図7-1参照)。

気体分子の回転には何らの束縛する外力はない。

すなわち自由回転を行っており,エネルギーとしては(11.10)式の運動エネルギーのみであり,位置エネルギーはゼロである。

 さて,(11.3)と(11.6)式を比較すると

(11.13)



であることがわかる。

したがって,(11.10)式の角運動量Lを運動量pで書き直すことができる。

脚注1の関係を用いて(11.13)の角運動量ベクトルの成分を示すと

(11.14)

である。

この物理量を演算子にするには量子力学の処方箋(第2章2節(2.26)式参照)に従って演算子に置き換えればよい。

すなわち,

(11.15)

となる。

の表現も(11.14)式を()のように循環的に置き換えれば得られる。

(11.15)式のデカルト座標()に関する偏微分を(3.4)式に示した極座標の関係を用いて変数変換を行うと(これは多少の演算を必要とするのでここでは省略する),

(11.16)

を導くことができる。

(11.10)式の回転のエネルギー表現には角運動量の2乗

(11.17)

が入っている。

これに(11.16)式を代入して,整理すると

(11.18)

となる。

これが(3.14)式の角度部分となっている。

したがって,回転運動のハミルトニアンは,(11.10)と(11.17)式から

(11.19)

となる。

このハミルトニアンの固有関数が第3章1.(4)に示した球面調和関数である。

そしてシュレーディンガー波動方程式を立てれば回転のエネルギーが求められる。

その演算は少し込み入っているので,ここではその詳細は適当な参考書に譲る。

(11.18)式の[ ]内の演算子に対応する固有値は(3.14)式に示したように,である。分子の回転を表す場合は,LをJに置き換えるのが慣行になっている。

その結果,

(11.20)

となる。

は回転の角運動量量子数であり,の整数値をとる。

は(3.18)式におけるに対応する量子数での合計()個の値をとることができる。

直線形分子の場合,これら()個のの状態は(11.20)式のエネルギーの表式には直接現れておらず*2,同一のエネルギーとなる。

すなわち,量子数の状態は()重に縮重している。

 以上をまとめると慣性モーメントIの直線型分子の回転エネルギーは

(11.21)

となる。

実際の分光学では

(11.22)


と表される。

Bを回転定数といい,

(周波数単位) (11.23)

あるいは

(11.24)

となる。

*2−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

直線あるいは球状分子以外の一般的な分子の回転エネルギーはkに依存するエネルギーの分裂を示す。すなわちの縮重が解ける。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−