6.電子スピンの磁気共鳴現象とスピン科学
電子の磁気モーメントは,軌道角運動量とスピン角運動量の両方の寄与によって決まる。
電子はフェルミ粒子であり,そのスピン量子数はS=であり,磁気モーメントと角運動量の向きは逆となる。核スピンについて既に述べた事柄の多くは電子スピンの磁気的な挙動にもあてはまる。
電子スピン共鳴では,電子スピンと核スピンの相互作用なども取り扱う。
磁気共鳴を誘起する電磁波は,そのエネルギーがラジオ波に比べて約103倍大きいマイクロ波である。
核磁気共鳴に比べて,エネルギーが大きい分だけ実験技術上の困難は大きい。
電子の磁気モーメントが物質のマクロな性質として直接に現れる磁気共鳴現象も多い。
多くの電子スピンが量子力学的な力である交換相互作用を介して協同運動をして巨大な磁気モーメントの磁気機能が物質全体に広がったものが磁石(強磁性体)である。
このような磁気モーメントの協同運動は,物質全体に広がったスピン定在波として現れる。
今日,量子化学の発展に支えられて,有機分子のみから構成された強磁性物質の分子設計が可能になり,実際に多くの有機強磁性体が作られている。
有機強磁性体は従来の科学の常識に反するものである。
しかし,近年,電子的な基底状態において化学結合にあずからない多数の同じ向きの電子スピンをもつ(したがって合成電子スピンS*が非常に大きい)有機単分子や高分子が実現された。
これらは,高スピン分子や超高スピン分子とよばれる新しい分子種であり,電子のスピンの性質を分子デバイスとして利用することを目指す次世代の技術(スピニクス)のモデル系である。(パターン12-22)(ムービー12-11)
図12-18に,超高スピン高分子のモデル系を示す。
↑は化学結合にあずからない炭素原子の2p電子を表す。モデル系(a),(b)では,分子内に同じ向きの電子スピンが多数出現するのに対して,(c)では逆向きスピンも同数だけ生じ,合成スピンはゼロとなる。
このように有機分子に現れる不対電子の数を量子化学的に設計することができる点が有機磁性体の特徴である。
高スピン分子系の炭素原子核上などの電子スピンのふるまいも,電子スピン磁気共鳴によって知ることができる。
一方,電子の移動や原子核と化学結合の組み替えによって起こる化学反応を,静磁場B0や振動磁場B1によって制御する化学も急速に進展している。
核スピンと電子スピンの両方が介在する分子系では,光などによる化学反応の過程で熱平衡状態とは異なるスピン状態が発生し,ラジオ波やマイクロ波に相当する電磁放射の現象が電子スピン共鳴によって検出できる。
以上に述べた現象はすべて,スピン科学とよばれる新しい量子化学の領域として発展している。
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補遺: 任意の大きさの二つの角運動量ベクトルを,
とするとき,量子論的な合成ベクトル
も,古典的なベクトル合成と同様に
(12.30) |
と表す。
このとき,の大きさを表す合成角運動量の量子数S*は,
(12.31) |
で与えられる。
ここで,S1,S2は,ベクトル,
の大きさを表す角運動量である。多電子系の場合には,
はスピン角運動量であり,
はスピン量子数である。
と
の合成ベクトル
の大きさは,上式より,
となる。
これらを量子論的なベクトル合成に従ってどのように作ることができるかを図12‐19に概念的に示す。
に対して
は相対的に三つの配向(
)をとることができることに対応している。
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演習問題
問12−1.分子の回転運動に関連する問題にパウリの原理を適用するには,回転運動を表す波動関数の180°回転に対する符号の変化を知る必要がある。
の関数の形(図3‐2,図9‐1参照,これらの図ではJを
に置き換えて考えればよい)をみると,180°回転(θ→π−θ、φ→π+φ)に対して,
の符号は
の因子で決まることがわかる。すなわち,符号は量子数
には依存しない。このことを,回転の量子数
について示せ。
問12−2.X核の核スピン量子数をとするとき,XH2の等価なH核の核磁気共鳴スペクトルにはどのような微細構造が現れるかを予想せよ(本文5.(4)および図12‐15参照)。
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