第13章−分子の動的構造

 本章ではレーザーの特徴と原理について,またレーザーを使って分子の動的な姿を探ることについて述べる。

1.レーザーの原理と特徴(ムービー13-1)(ムービー13-10

 原子・分子のもつエネルギーは,これまでに学んだように主に電子で決まる。

原子・分子はふだんは一番低いエネルギーをもった「基底状態」にあり,光や放電などからエネルギーをもらって「励起」されるとエネルギーの高い「励起状態」に上がる。(パターン13-2,13-3,13-4)(ムービー13-3

図13‐1に原子または分子の励起状態と基底状態のエネルギー準位を示す。

基底状態(n)にある原子や分子は,エネルギー差に相当する,つまりをみたす振動数の光が当たると,これをある確率で吸収して励起状態(m)に上がる*1

原子や分子が初めから励起状態にあるときに同じ振動数の光が来ると,こんどは,この光の電場に誘われて光を放出して基底状態に戻る。

この過程を誘導放出という。このとき吸収が起こる確率と誘導放出が起こる確率とは等しい(7章参照)。

(13.1)



 さて,原子や分子は普通の状態では周囲の環境と熱平衡にあって,ボルツマン分布をしている。

基底状態と励起状態のエネルギーを各々とすると,基底状態にある原子(分子)数と励起状態にある原子(分子)数は次の式で与えられる(は定数)。

, (13.2)



 両者の比は

(13.3)


となる。

エネルギーの低い基底状態にある数の方が断然多い。

光の密度をとすると,基底状態にある原子や分子が吸収を起こす個数は,励起状態にある原子や分子が誘導放出を起こす個数はとなるが,であることから,通常の状態で光が来れば吸収のほうが誘導放出にうち勝って,正味として吸収が起こることになる。

しかしなんらかの方法で励起状態にある原子や分子の数の方を多くしておくと(これを反転分布という),誘導放出の方が吸収にうち勝って,正味として誘導放出が起こる。この誘導放出を利用して強い光を出す装置がレーザーである。

なお,励起状態にある原子や分子では,誘導放出のほかに,光が来なくてもある確率で自然に光を出して基底状態にもどる過程(確率)も起こる。

この過程を「自然放出」とよぶ。

(注*1:ここで状態mと状態nは二つの励起状態(であってもよい。)

レーザーという装置は,図13‐2に示すようにルビーの結晶やアルゴンの気体のようなレーザー光を出す物質(レーザー媒体という)を二つの鏡の間にはさんだ構造をしている。(パターン13-5)(ムービー13-4

これを共振器(キャビティー)という。

このキャビティーの中には,当然,多数の原子あるいは分子がある。

この図では基底状態の原子,分子やイオンを白く,励起状態のそれを黒く表示してある。

 反転分布を実現するために,外部から他のレーザーやフラッシュランプの強い光を当てたりして「ポンピング」を行う。

図はポンピングによって反転分布が実現しているところを示しており,黒が多くなっている。

このなかでどこかで光の自然放出が起こると,これが引き金になり,その光子は近くにある励起状態の原子に当たって誘導放出を起こす。

ここで同じ波長の光子が1個生まれるが,もとの光子はそのまま残るので,1個の光子が2個に増える。

この光子はまた他の励起状態の原子に当たって誘導放出を起こし,また同じ波長の光子が1個増える。

両側に鏡があるので光はこの間を繰り返し往復し,同じ波長の光子の数がどんどん増えていく。

つまり光は増幅される。ここで一方の鏡をたとえば90%反射にしておくと,10%分だけが漏れて外に出てくるから,これを使うことができる。

キャビティーの中に満ちている光はとても強いので,そのlO%といってもとても強い。

これがレーザー光である。

LASERという言葉はもともと,「放射の誘導放出による光の増幅」(Light Amplification by Stimulated Emission of Radiation)の頭文字をとってつくられたものである。

 レーザー光には,重要な特徴がいくつかある。

 まず第一に,それは波長がきっちりと決まっている光である。(パターン13-1)(ムービー13-2

波長によって光の色がきまるので,これを単色性という。光の波長をλ,振動数をνとすると,これを掛け算したものは光の速度(真空中では)で一定である。すなわち

(13.4)


である。

したがって,波長がきっちりと決まっているということは,振動数が決まっているということと同じである。

光は粒子としての性質ももっていて,そのときには光子(フォトン)とよばれる。光子一粒のエネルギーははプランク定数)である。波長が決まっているとも一定である。

レーザーの光を粒子としてみたときには,きっちりときまったエネルギーを目的のところに届けるといえる。

 さらにレーザー光にはコヒーレンス(coherence)という特徴がある。(パターン13-6)(ムービー13-5

レーザー光の波の山と山,谷と谷は空間的にみても,また一点で時間的にみても,きれいにきっちりと揃っている。これを「位相」が揃っているともいう。

レーザーのなかで光子が近くにある励起状態の原子に当たって誘導放出を起こすときに新たに出てくる光は,初めの光と同じ波長のものになるだけでなく,波の山と谷が揃って出てくるのが大事なところで,このためにコヒーレンスという性質が出てくる。

光は波なので二つの光は干渉する性質があるが,二つのレーザーの光は非常にきれいに干渉し合う。

これはホログラフィーという技術に使われている。

またこれは,レーザー光の指向性が高く(パターン13-7),遠くまで広がらずに真っ直ぐに進む性質のもとになっている。(パターン13-8,13-9

 ホログラフィーは,光や電子線の波動の干渉を利用した立体的な写真法である。

レーザーの光を二つに分け,一方は物体に透過あるいは反射させてから,また他方は参照波として直接に,同じ写真乾板上に重ねて記録する。

乾板上には干渉縞(ホログラム)が記録される。

この干渉縞をもとの参照波と同じレーザー光で照射すると,これが回折格子として働いてもとの像が再生される。

これは一種の立体写真で,再生のときの眼(カメラ)の位置を変えると異なった角度からの像がみえる。

ホログラフィーはレーザーの発明前からあったものであるが,レーザー光を使うようになってから,その優れた干渉性のために画期的に進歩した。

 光には偏りという性質がある。(パターン13-10

光は,電気ベクトルと磁気ベクトルが互いに垂直な方向に振動しながら進んでいく横波であり,このうち電気ベクトルの振動する面を光の偏光面という。

レーザーから出てくる光は偏光面もきちんと揃っている。

これに対して懐中電灯のような普通の光はいろいろな向きの偏光が混ざりあっている。

図13‐2でレーザー媒体の両側が斜めにカットしてあるが,これをブルースター角といって,光がレーザー媒体から外に出るときに,紙面の方向に偏った光だけを透過し,これと垂直に偏った光は全部反射する。(パターン13-11

反射された光はレーザーの軸方向から外れてしまい,もう増幅されないので,レーザーから出てくる光は紙面の方向に偏光したものになる。

またレーザーには,短時間だけ光るパルスレーザーと,時間的に連続して光る連続発振(CW)レーザーとがある。(パターン13-12

パルスレーザーには反転分布を実現するためのポンピングが連続的にできないからという場合もあるが,連続発振もできるのに,エネルギーを時間的に集中させたいためにわざとパルス発振にしてある場合もある。

このパルスレーザーには,lOナノ秒(1億分の1秒)ぐらい,その千分の一の10ピコ秒(1千億分の1秒)ぐらい,そのまた千分の一の10フェムト秒(百兆分の1秒)ぐらいのものがある。

1秒間に地球を7まわり半の距離を進む光が3メートル進む時間が10ナノ秒,3ミリメートル進む時間が10ピコ秒,3マイクロメートル進む時間が10フェムト秒である,というと,これらのパルスの短さが実感されるであろう。

 こういうパルスレーザーでは非常に短い時間のあいだに強い光が出るので,瞬間的な出力(尖頭出力という)が非常に大きくなる。(パターン13-13

典型的なネオジム・ヤグレーザーを例にとると,例えばパルス一発あたりのエネルギーが1ジュール,時間幅10ナノ秒のパルスが1へルツ,すなわち1秒の間に1発である。

平均出力は1ワットにすぎないが,1秒の間に実質光っている時間は1億分の1秒であり,この時間内に全エネルギーが集中するから,尖頭出力は1億ワットつまり100メガワットにもなる。

この出力を身近にある100ワットの電球と比べてみると,時間平均としては百分の一にすぎないが,瞬間的には百万倍にもなる。

 レーザー光のエネルギーは,光であるから透明な物質中ならば遠くまで届かせることができる。

またレーザー光は,レンズで絞ることによって,小さな部分(たとえば直径1μmぐらい)に集光することができる。

すなわちレーザー光は,波長的(つまり振動数,エネルギー的)に純粋であり,時間的にも空間的にも集中させることができるという優れた性質を持っている。