第14章−分子間相互作用

 前章までは,1個の分子を独立した系と考えて,種々の分子が持つ構造と性質について説明してきた。

このような「分子の量子化学」は,自然界に存在する物質の構造と性質を知るための基盤として極めて重要である。

しかし,多数の分子がそれぞれ独立して自由に運動しているような系は,自然界では例外的にしか見られない。

たとえば,事実上真空とみなしてよいような実験装置の中,あるいは宇宙空間のように,極めて希薄な気体の中で起こる現象がそれに該当する。

一方われわれの日常生活に現れる物質(すなわち液体・固体・表面・あるいは常圧の気体など)の中で起こっている現象には,分子間に働く相互作用が重要な役割を果している。

吸着や接着などの例をあげるまでもなく,われわれは様々な分子集合体の中で起こっている分子間相互作用を巧みに利用して,それらの物質が持つ特徴的な機能を発現させている。

したがって,「分子集合体の量子化学」は基礎的にも応用的にも極めて重要な学間領域となっている。

それらの詳細は巻末の参考文献を参照して頂くことにして,本章では「分子の量子化学」から「分子集合体の量子化学」への発展について,いくつかの例をあげて説明する。(パターン14−1)(ムービー14-1

1.ファンデルワールスの状態方程式(パターン14-2,14-3)(ムービー14-2

 二つの分子が近づくと,その間には引力と反発力の相互作用が現れる。

この事実は,例えば気体の状態方程式を調べると理解できる。図14‐1(a)は理想気体の状態方程式で,圧力Pとモル体積Vmと温度Tとの間に,次の簡単な関係が成立する。

(14.1)



これはボイル・シャルルの法則として知られている。気体運動論によれば,「気体を構成する粒子(原子または分子)の大きさが無視できて,それらが相互に,また容器の壁との間で,それぞれ弾性衝突だけを起こしている」と考えると,この方程式が導かれる。

ところが,実在する原子・分子の間には比較的遠距離では引力が働いて分子をたがいに凝集させようとすることが知られている。

また分子は点ではなく一定の大きさを持ち,それが物体の体積を決めている。

この性質を端的に示すのがファンデルワールスの状態方程式(1873)である(図14‐1(b))。

(14.2)



この式は,実在気体の状態方程式が理想気体のふるまいからどのようにはずれるかを半定量的に表現している。

「気体がある温度以下に冷えると,ある圧力以上で液化が起こる」ことも表現できる。

ここにあげたCOの例でも,室温あるいはそれ以下でCO気体のふるまいは理想気体から大きくはずれていることが分かる。(パターン14-3)

図の破線の両端は,その温度で液体と共存する気体の圧力と,液体および気体の体積を示している。

破線の頂点は「臨界点」とよばれ,その点に相当する温度と圧力(COでは31.06 ℃,72.86 atm),すなわち,この「臨界温度」と「臨界圧」以上でこの物質は「超臨界状態」とよばれる状態になる。

この状態の物性と応用については,5節で改めて説明する。

 この方程式に現れる二つの定数aとbは,それぞれ分子間に働く力に関係している。

aに比例する圧力の補正項は,遠距離で電気的に中性分子の相互に働く引力の大きさの目安を与える。

この項は,容器の壁で測定される実在気体の圧力Pが理想気体の圧力より分子間引力の分だけ低くなる効果を補正している。

bは実在気体の分子が有限の大きさを持つために,分子が実際に動きまわれる体積が容器の体積より狭くなっている効果を補正している。

すなわち,近距離で分子間に働く反発力の目安を与える。