2.分子間ポテンシャル

 分子間相互作用の影響は,状態方程式のほかに輸送現象(粘性あるいは拡散などのように,物質あるいはエネルギーの移動に関係する現象)や圧縮率・弾性率などの物性にも顕著に現れる。

これらのマクロの物性を測定・解析して分子間相互作用に関する情報を導出する方法は長年にわたって使われてきた。

そのほかに,結晶における分子の並び方からも分子間力に関する有力な情報を引き出すことができる。

さらに現在では,分子ビームの技術を用いて真空容器の中で分子を走らせ,分子と分子を交差させて衝突散乱を観測したり,分子にレーザー光を当ててスペクトルを測定して分子錯体の構造を正確に決定したりする研究が主流の一つとなっている。

これらの分子レベルでの実験的方法と併せて,量子化学的計算からも分子間相互作用に関する詳細な定量的情報が得られる。

(1)分子線衝突法(パターン14-414-514-6,14-7,14-8)(ムービー14-2

 気体に圧力をかけて細いノズルから真空中に吹き出すと,断熱膨張によって極低温に冷却された気体分子の流れ(分子ビーム)が作られる。

その中で,気体分子は互いに衝突することなく一方向に超音速で走る(図14-2)。

二つのビ一ムを真空中の一点で交差させて,弾性散乱された分子を質量分析計で測定し解析すると,分子間相互作用のポテンシャルエネルギーを定量的に求めることができる。

最も簡単な例として,この方法で求められた希ガスの原子間ポテンシャルを図14-3に示す。

(2)希ガスの原子間ポテンシャル(パターン14-6

 へリウムからキセノンまでの希ガスのポテンシャル曲線の形は,互いによく似ている。

すなわち,一つの極小点を持ち,その外側で傾きは左下がり(引力),内側では激しい右下がり(強い反発力)となっている(第2章で説明したように,ポテンシャル関数の距離に対する勾配は力を表す)。

前記のファンデルワールス方程式の係数aとbも,この曲線の形を知れば導出できる。この曲線は

(14.3)


の関数でかなりよく近似できる。

εはポテンシャルの谷の深さを表す。この関数はレナード‐ジョーンズポテンシャルとよばれる。

 

(3)原子の大きさ:原子間の反発力(パターン14-9,14-10,14-11)(ムービー14-3

 でのポテンシャルの壁はで近似されるように険しいものであるが,垂直に切り立った壁ではない。

すなわち,希ガス原子はパチンコ玉のような剛体球ではなく,かなり硬いけれども多少の弾性を持っている。

この反発力は,二つの原子の電子分布が重なり合うことによる相互作用に起因する。

(いわば,原子中の電子は野生の動物の群れのように「縄張り」を持っていて,化学結合と関係のない余分な電子がその縄張りの中に入ってくると強く反発する。)希ガスなどの原子が作る結晶を調べると,各原子は互いに一定の間隔を保って整然と3次元に配列していることがわかる。

原子間距離の半分をファンデルワールス半径といい,その原子のおよその「縄張り」を表す重要な量である。

たとえば,アルゴン原子の電子分布(図14-4)を見ると,ファンデルワールス半径は電子分布の実質的な裾に相当していることがわかる。

気体電子回折の実験と量子化学理論の両方から得られた分布曲線は,よく一致している。また,この図にはK,L,M殻の電子分布がきれいに認められる。

図14-5を見ると,ファンデルワールス半径の2倍(結晶中での安定距離)は希ガス二原子のポテンシャル極小の位置(図14‐3)にほぼ等しいことがわかる。

 原子間力顕微鏡(Atomic Force Microscope,AFM)は,原子間の反発力を応用して固体表面での原子配列の状況を高い分解能(高さ方向〜0.1Å,横方向2〜3 Å)で直接に観察する実験技術である。

表面のごく近傍に鋭い探針を近づけ,試料を面内方向に微動させながら,探針に働く微弱な力を一定に保つように探針と試料の距離を制御することによって表面の形状を調べる(図14-6)。

探針の先端付近では反発力だけでなく原子間の引力も働くが,反発力が距離に非常に敏感で強く働くため,原子レベルの分解能が得られる。

この技術は,大気中や液体中でも表面の形を詳細に観察できるという優れた特長を持つ(以上放送教材参照)。

(4)ファンデルワールス引力(ムービー14-4

 帯電していない原子の間に遠距離()で働く引力は「分散力」とよばれ,上記のようにに比例するポテンシャル関数で表現される。この引力の原因は,二つの原子が相互に誘起しあう双極子の間に働くクーロン相互作用である。

ロンドンは量子力学の計算によってそれを証明した(1930)。

希ガス原子の電子分布は平均すると球対称であるが,瞬間的に見ると,電子の運動に起因する「電荷の揺らぎ」のために分布は球対称から外れて,電荷分布に偏りが生じる。

そのために発生する双極子モーメントの電場によって,近くにいる原子に双極子モーメン卜が誘起される。その相互作用はつねに両分子を引き寄せる力として働くので,平均すると引力になる。

誘起される双極子モーメン卜の大きさは原子の分極率(電荷の動きやすさ)に比例するので,図14-3に示すように,引力の強さは分極率の大きさの順番どおりXe>Kr>Ar>Ne>Heとなっている。

(5)分子間の力

 以上おもに原子間の力について説明したが,帯電していない分子間に働く力についても,基本的にほぼ同様の現象が見られる。

ただし,分子は一般には球対称でないので,分子間力の強さは空間的な方向によって一様ではない。すなわち,分子間力に異方性が現れる。

また分子が永久双極子モーメントを持つ場合には(すなわち極性分子の場合には)その効果も現れるし,分子が持つ四極子モーメントの効果も現れるので,問題はかなり複雑になる。