2.触媒表面の構造と反応−STMによる観察

走査トンネル顕微鏡(STM:scanning tunneling microscope)は,鋭い探針で試料表面をなぞることにより表面の凹凸を観察する顕微鏡である。

探針と試料の表面が1nm程度まで近づくと,電子の波動性(第2章参照)により,探針と表面の間にトンネル電流が流れる。

この電流は探針と表面の距離のわずかな差により極めて敏感に増減するので,トンネル電流を一定に保つように探針を上下させることによって,表面の凹凸を原子レベルで観察することができる(第14章,図14‐6(原子間力顕微鏡)参照)。

探針の移動には,ピエゾ(圧電)素子が使われる。

この技術の出現によって,表面および表面に吸着された分子の原子配列について正確な情報が得られるようになり,たとえば触媒反応の機構に関する研究の発展に重要な役割を果たしている。

 表面に吸着した分子のSTM像は,分子の電子状態の空間分布を強く反映している。

たとえば,TiO(110)単結晶表面に吸着したギ酸イオン(HCOO)のSTM像を,探針に負の電位,表面に正の電位を印加して観察すると,トンネル電流にはギ酸イオンの最低空軌道(LUMO)(第6章参照)が関与するため,LUMOが輝点として見える。(図15‐6)。

LUMOはギ酸イオンのO‐C‐O軸に垂直な方向に拡がっているので,STMでは楕円形の分子像として観察される。ギ酸イオンの単分子層では,イオンは正方形に近い配列(0.65 nm×0.60 nm)をとっていることがわかる。

 この触媒反応は,ギ酸→ギ酸イオン+プロトン→一酸化炭素+水,または二酸化炭素+水素,すなわち

HCOOH → HCOO+ H → COO+ HO(脱水反応)

              → CO+ H(脱水素反応)

である。

この場合,反応中間体はギ酸イオンであり,その挙動によって反応経路が決まる。

中間体およびその動きを直接観察するために,吸着したギ酸イオンをSTMにより室温で測定すると,Ti原子列の方向に0.15nm/minの速さで移動しており,Ti列と垂直方向にはほとんど移動しないことがわかった。

また,その動きは温度が上昇するにつれて激しくなり,STMでは追跡できないようになる。400K以上になると反応が始まり,一酸化炭素と水が生成する。

このSTM像で観察されるように,吸着ギ酸イオンが一定方向を向いて吸着してTi列方向に動く場合には脱水反応が進行する。

しかし,実際の粉体の触媒では,表面には様々な結晶面が露出しているので,吸着ギ酸イオンも様々な吸着構造をとり,またそれらの動きも複雑になる。

このような触媒表面では,脱水反応以外に脱水素反応も進み,一酸化炭素と水のほかに二酸化炭素と水素も生成してしまうので,反応を制御することは難しい。

 このSTMの実験例のように,原子・分子レベルの分解能を持つ物理化学的手法で表面を直接観察し,その構造と反応中間体の挙動を実像として把握できるようになったので,反応経路を決める要因について詳細に考察できるようになった。

反応機構についての理解が深まれば,最適の表面を設計して,目的とする触媒反応プロセスを開発する道が開かれる。

脱水・脱水素を含む触媒反応はギ酸のほかに多数あって,上記の研究で得られた知見は,それらに共通する概念を与える。

21世紀の科学技術では,100%の選択性を持ち不必要な副生成物をまったく出さない「ゼロエミッション触媒プロセス」が求められている。

それを達成するには,表面反応を原子・分子レベルで理解することが先決である。