4.異核二原子分子の電子構造(ムービー5-10

(1)電子配置と化学結合

 分子軌道法による電子構造の考え方は、CN, CO, NOのような異核二原子分子にも適用できる。

これらの分子の電子配置と結合の性質を表5-3および図5-8に示す。

   
 ある二つの分子を考えたとき、それらが持つ電子の総数が等しいとき、それらの分子は「等電子的 (isoelectronic)である」という。

たとえば、COとN2、CNとN2+、NOとO2+は等電子的である。

もっと広く、たとえばCNとSiN、COとCSのように、内殻の電子数の違いは問題にしないで、化学結合に関与する電子、すなわち「価電子」の総数が等しい分子についても「等電子的である」という。

等電子系では、各分子軌道に電子が収容される状況がたがいに似通っていて、結合次数は等しく、解離エネルギーや平衡結合距離など結合の性質についても類似点が多い。

その様子は表5-3に現れている。

(2)非対称性が電子構造に及ぼす影響

 異核二原子分子には等核二原子分子の系には見られない特徴がある。

(a)二つの原子が異なるので、それらの原子のAO(2s,2p)のエネルギーは一致しない(原子番号の大きい原子の方がクーロン引力が強いのでAOのエネルギーは低くなる)。

そのために線形結合の作り方は等核系の場合(1-(3))に比べてやや複雑になる。

等核分子の場合と違って分子の対称性を表す添え字記号gとuがないので、分子軌道の番号のつけ方が変わる。

(b)それぞれの分子軌道における原子軌道の係数(したがって電子分布)が、著しく非対称になる場合がある。

たとえば、COの4σ,1π軌道では電子分布はO原子の方に偏り、反対に3σ,5σ軌道の電子分布はC原子に偏って、分子の外側(O原子と反対側)に突き出している(図5-9)。

このような電子分布の偏りは、その分子の化学的あるいは物理的性質(たとえば反応性や結晶の中での分子の並び方)に大きく関係する。


(c)電荷分布の対称性も失われる。

したがって分子に極性が生じ、ゼロでない双極子モーメントμを持つようになる。

双極子モーメン卜μはべクトル量で、分子の中での電荷の偏り(正電荷の重心と負電荷の重心がどれだけ隔たっているか)を表す量である。 の位置に電荷があるとき、

(5.20)


で与えられる。

双極子モーメントのSI組立単位(付録A参照)はC m(クーロン・メートル)である。

しかし、一般にはデバイ(debye D=10-18 cm・cgs esu=3.33564×10-30 C m)という単位が便利なので、しばしば用いられている。

 分子全体の電子波動関数をとすると、分子内のある位置での電子の存在確率がで与えられることを用いてμの期待値(2.33)を求めると、一般に

(5.21)

と書ける。

 ここで考えている二原子系の場合には、このベクトルは分子軸の方向を向き、一方の原子が正、他方の原子が負に帯電する。

ただし、どちらの原子が正になり、どちらが負になるかを予測することは、かならずしも容易ではない。

たとえば、COではC原子側がわずかに負で、O原子側が正に帯電している。

NOではN原子側がわずかに負で、O原子側が正に帯電している。

いずれの場合にも、双極子モーメン卜は意外なほど小さい(表5-3)

これらの実験事実は、素朴な化学的直感とは一致しないように思われる。

 分子の双極子モーメントは、分子と電磁波との相互作用において重要な意昧を持つ。

たとえば、分子がマイクロ波あるいは遠赤外領城の電磁波を吸収したり放出したりして回転状態を変える現象(分子の回転遷移)において、双極子モーメントは電磁波を受信するアンテナの役目を果たしている。

したがって、無極性分子の純回転スペクトルは一般に観測されない(第11章参照)。

(d)CNやNOのように奇数個の電子を持つ系には、αとβの電子スピンの対を作らない電子(不対電子)がかならず存在する。

このような化学種はラジカル(遊離基)とよばれている。

ラジカルが化学的に極めて反応性に富んでいるのは、不対電子が他の分子の電子と相互作用して化学結合を作りやすい性質を持つためである。

また、不対電子が持つスピンの磁気モーメントは打ち消されないで残るので、ラジカルは常磁性物質である。

おわりに

 上記を要約すると、二原子分子の化学結合は,分子内の各電子が持つエネルギーの核間距離依存性によって決まる。

すなわち、

 a) 分子軌道の性質は「結合性・非結合性・反結合性」のどれかに分類できる。

それらの軌道のエネルギーは、二つの原子が無限の遠方から近づいて核問距離が平衡距離まで短くなるにつれて、それぞれ「低下・不変・上昇」という変化を示す。

それらの傾向は、電子密度の分布(図5-1)を見ると定性的に推定できる。

 b) 分子の電子基底状態で、分子に含まれる電子はパウリの原理に従って最低エネルギーの分子軌道から順次に軌道を占める。

どんなエネルギーを持つ軌道に何個の電子が入るかによって分子全体のエネルギーが決まり、その核間距離依存性、すなわちポテンシャル曲線(図5-3)が結合の実態を表している。

この曲線の谷底.が深く、曲率が大きいほど原子間の結合は強くなる。

 c) 分子がイオン化によって強い結合性の軌道から1個の電子を失うと、生成した分子イオンの結合は元の中性分子のときに比べて著しく弱くなる。

反対に、反結合性の軌道から電子が抜けると、分子イオンの結合は強くなる。分子軌道の性質は、このように光電子スペクトルの実験によって調べることができる。

演習問題

問5−1.(5.11),(5.12),(5.13)の各分子軌道波動関数は、それぞれどんな節平面を持つか。

(ヒント)もとになる原子軌道波動関数の節平面を考えてもよいし、図5-1を眺めて考察してもよい

問5−2.N2+分子イオンのXとA電子状態の振動の力の定数を求めよ。

(ヒント)XとA状態の振動波数は、それぞれおよそ2191, 1850 cm-1であり、力の定数は、振動数と換算質量(4.13)とを用いて(4.21)により計算できる。

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