5.環状共役系と安定性

 ベンゼンのπ電子の軌道エネルギーおよび分子軌道もヒュッケル分子軌道法によって解くことができる。

この分子の場合には6×6の行列式となる。その結果を図6-16

に示した。

全π電子エネルギーは

(6.26)

となる。

ベンゼンについては2章2‐(3)において,自由電子モデルによって扱った。

ヒュッケル法によれば,それより実験値とよく一致する結果が得られる。

 一方,炭素6個が直線に結合した共役炭化水素はヘキサトリエンであり,その全π電子エネルギーは

(6.27)


である。

ベンゼンの方が安定な分子であることを示している。

この安定性の原因は図6-17

に示したように交互二重結合で表示される等価な極限構造の間の共鳴として説明される。

ベンゼンの表示として,交互二重結合でなく,六角形の中に円を描く表示がしばしば用いられるのはこのためである。

 一般に環状共役系では環の数が多くなると,共鳴構造の数が飛躍的に多くなる。これが非環状の共役系より安定となる要因と説明されている。

おわりに(パターン6-15,6-16,6-17,6-18,6-19,6-20,6-21,6-22)(ムービー6-11,6-12

 飽和炭化水素が長く連結した分子あるいはそのフラグメントは極性が低く,水に不溶の性質をもつ。

これらは飽和脂肪酸として生体組織の重要な成分として存在する。

様々な飽和で長鎖の天然および合成高分子が繊維やフィルムなどとして使われている。

単結合では結合軸まわりの回転の自由度があるので,小さな応力により内部回転の二面角が変わる。

そして様々な三次元構造が可能となり,分子全体の長径方向の長さが変わる。

この性質がマクロに現れたのがゴム(ポリイソプレン)である。DNAのらせん構造が解けて情報を発現する際には,その部分の回転角が変化しているのである。

 一方,生体にある蛋白質や核酸分子などで,形が比較的きっちりと保たれている部分は,π電子の共役二重結合系であることが多い。

また情報伝達やエネルギー変換に係わる分子は二重結合を含み,その分子の大きさ,形状および軌道エネルギーを巧みに利用している。

においや味に関係し,あるいは毒にも薬にもなる分子は,構造上の微妙な差異,特にdとlの鏡像異性体が関係していることが多い。

このように,分子の示す様々な特性は,分子の大きさや形,電荷分布や分子軌道のエネルギーが織りなす現象の結果である。

このように個々の分子が持つ構造や反応性は,本章までに述べた電子構造を反映した結果であるといえる。

演習問題

問6‐1:メタン分子の四つの水素原子は等価であり,それらが正四角形に配置し,炭素原子もその平面の中心にある分子であると仮定すると,CH3XおよびCH2XY型の分子にはそれぞれいくつの異性体が存在するはずであるか。また実際には正四面体の分子において,CHXYZ(X,Y,Zは互いに異なる原子あるいは原子団とする)型の分子では空間的にどのように異なる異性体が存在するか考えよ。

問6‐2:(6.10)〜(6.12)の式を用いて,の混成軌道の向きは互いに120°であることを示せ。(ヒント:原子軌道関数の係数は,その軌道の持つ方向への大きさを表す。各軌道を座標の単位ベクトルと考えてよい)

問6‐3:付録Xの行列式の計算法を参考にして(6.19)式を解き,アリルラジカルのπ電子の軌道エネルギーと全エネルギーを計算せよ。