4.ディールス‐アルダー反応

 ブタジエンあるいはその置換体(ジエン)とエチレンあるいはその置換体(オレフィン)が6員環を形成する反応をディールス‐アルダー反応という。

この反応の機構を2.で述べた軌道間相互作用の考え方で説明してみよう。

軌道間の相互作用で結合が生じるのは電子を出すHOMOと電子を受け入れるLUMOの波動関数の同位相がうまく重なる必要がある。

 まず,ブタジエンとエチレンを考える。

反応直前のそれぞれのHOMOとLUMOを図8-20に示した。この反応では二つの場合;(1)(ジエンのHOMO)+(オレフィンのLUMO)と,(2)(ジエンのLUMO)+(オレフィンのHOMO)が想定できる。

位相とエネルギーの観点からは全く同じである。エチレンのHOMOは結合性軌道であり,電荷分布は二つのC原子の間に集中していて,ブタジエンの1と4位の軌道との重なりは小さい。

一方,エチレンのLUMOは反結合性軌道であるから,関数の分布は分子の外側に広がっている。

以上の考察により,エチレンのLUMOがブタジエンの1と4位の軌道と大きく重なり,2.で述べた相互作用項cが大きいことになる。

したがって,この反応機構は(1)によると推察できる。

 次に,前記のことを確かめるためにメトキシブタジエンとアクロレインを例にとる。

この反応では生成物として(a)と(b)が考えられる。

メトキシ基(CH3O‐)は電子供与性(電子を押し出す)の置換基であり,ホルミル基(CHO‐)は電子吸引性の置換基である。

100℃で混合物を反応させると,ほぼ100%の収率で生成物(a)が得られる。


 ヒュッケル法の計算の結果によると,それぞれの分子のHOMOとLUMOはおよそ図8-22のようである。

軌道の重なりを観察すると,メトキシブタジエンのHOMOの4位の関数とアクロレインのLUMOの1位の関数が最初に重なるように反応することが理解できる。

したがって,環化付加反応の結果,図8-21の(a)が主生成物として得られることが説明できる。

 6章にも述べたように,フロンティア軌道とよばれるHOMOとLUMOのエネルギーと位相の対称性がπ電子をもつ有機化合物の反応を支配していることを示した。

そして,HOMOとLUMOの定性的な性質は比較的簡単な計算によって調べることができること,場合によっては“紙と鉛筆”だけの予想も有効であることを示した。

この簡単でしかも強力な有機化学の指針を確立したのが,ウッドワード,ホフマン,そして日本の福井謙一である。

“分子軌道の対称性が反応の経路で保たれる”ことが反応の道筋を決め,それによって反応の起こりやすさと反応の立体的な特異性が決定されることを示した。

この指針が“ウッドワード‐ホフマン則”である。

おわりに(パターン8-308-318-32)( ムービー8-6

 われわれが日常的に接する様々な物質,たとえば食物,衣服,住宅建材など,そして生物を構成する物質の多くは有機化合物とよばれる一群の炭化水素であり,二重結合が物質としての性質や反応に重要な役割を果たしている。

すなわち,π電子の性質を理解し,制御することが化学の基本ともいえる。

放送教材で紹介される最先端の研究に登場する新しい機能をもつ物質もπ電子を巧みに利用したものが多い。

演習問題

問8‐1.放送教材を参考にして次の問に答えよ。

(1)単色光で黄色の光の波長はおおよそ570nmである。天然の黄色のみかんから反射される波長は主に570nmであると考えてよいか。

(2)テレビ画面に映っているみかんからの光を分光すると,どの波長の光が観測されるか。

問8‐2.茶葉の中にはカテキン類が15%程度含まれていて(図q8‐1),これらの分子が茶独特の色を発現している。弱アルカリ性で赤みを帯びている紅茶にレモン汁を入れると色が薄くなる。これはどうしてかを定性的に答えよ。


問8‐3.図q8-2のシス‐トランス‐2,4‐ヘキサジエンが加熱によって環化する場合,メチル基は生成物のシクロブテン環のどちら側に配置するか。

<図q8-2 シス‐トランス‐2,4‐ヘキサジエン>

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