4.HSAB原理




(1)金属イオンの系統的定性分析 



 水溶液中に含まれる種々の金属イオンを検出する方法は古くから研究されてきたが,もっとも便利で広く用いられている方法は硫化水素を主要な試薬とする.

すなわち表10-2のように,何が含まれているか不明の水溶液に表示の試薬を順次加えて生じた沈澱を濾し分け,イオンをグルーブ分けしてから,各グループごとに個々のイオンを検出する



(硫化水素は臭くて,多量に吸うと有毒となる恐れもなくはないから実験には注意がいる).

 このグループ分けをみると,第1,2,4属は硫化物が沈澱し,金属イオン周りに酸素原子をもつ水和イオンより硫化物イオンが近くにある方が安定である.

第3,5,6属は金属イオン周りに酸素原子が存在する水酸化物,炭酸塩または水和イオンそのものの方が安定である.

つまり前者は親硫黄性グループ,後者は親酸素性グループということができる.

(2)a性とb性



 金属イオンがどのような分子やイオンと配位結合を作りやすいかは金属錯体の安定度として定量的に表示できる.(第11回)

金属イオンの周囲に他の分子やイオン(これらを配位子という)が並んだ状態が錯休である.

多くの金属イオンについて測定された錯体の安定度デー夕を集計する時,配位子の分子構造は無視して,直接金属イオンと結合する原子(配位原子)の種類に着目すると,金属イオンがどのような配位原子と結合しやすいかによって次の2グループに分類できる.

a) F>Cl>Br>I   b) F<Cl<Br<I
  O>S>Se>Te     O<S>Se>Te
  N>P>As>Sb     N<P>As>Sb

 硫黄を配位原子とする硫化物イオン,チオアルコール類,チオエーテル類とより,酸素を配位原子とする水,オキソ酸イオン,カルボン酸イオン,アルコール類と,強く結合する金属イオンはa群に分類される.

それらはリンを配位原子とする有機ホスフィン類とより,窒素を配位原子とするアンモニア,有機アミン類,アジ化物イオンN3−などと結合しやすい.

それらはまた,ハロゲン化物イオンを相手とする時は,周期表の上方の元素のイオンと結合しやすい.

a群のイオンはおもに周期表の左の方に位置する元素から生まれる.(図10-3)



 これに対しb群イオンは,硫化物イオン,チオアルコールなどと結合しやすく,有機ホスフィンとはアミン類を相手とするより強い結合を与える.

またヨウ化物イオン,臭化物イオン,塩化物イオン,フッ化物イオンの順に結合が弱まる.

周期表上では右寄りの金属元素がb群イオンとなりやすい.

a,b群の中問的性格のイオンは両領域の境界付近にある.(ニッケル,亜鉛,銅など)

(3)自然界における元素の存在状態



 この問題は「基礎化学」の第14回で取り上げられた.

イン石などの地球外物質を含めて考えても,元素の存在形態は表10-3の4種に整理できる.



親気元素のうち希ガス元素は化学結合を作らないから別扱いにする.

親鉄元素は金属単体として産出するが,これは自然界に硫黄が少なかったためと考えられる.

(ある元素の全量が多いか少ないかは,原子核の性質により決定されるので,原子の化学結合つまり電子状態とは無関係である.)

もし硫黄量がもっとあれば,親銅元素として産出したものと推定される.

そうすると自然界では酸素と結合しやすい元素および硫黄と結合しやすい元素とに二大別できることになる.

ハロゲン元素など水和イオンとして安定なものは,親酸素の仲間に入れてよい.

ケイ素,リンなど安定なオキソ酸イオンを作る元素も同様である.

(4)酸・塩基の硬さ・軟らかさ



 これまで調べたことを整理すると,金属元素の基本的性質としての親酸素性・親硫黄性と,錯体の安定度に基づいたa性・b性とは極めてよく対応していることが判明する.

自然界の高温高圧の条件下で現れる性質と,実験室での温和な状態での結果がよく対応するという事実は,上記の二分類が元素の基本的性質に深く関連していることを示す.

配位結合は本質的にルイスの酸・塩基の関係として理解される.(p.69,173)今a群の陽イオンを硬い酸,それと結合しやすい分子や陰イオンを硬い塩基と呼び,b群の陽イオンを軟らかい酸,それと結合しやすい分子・陰イオンを軟らかい塩基と名付けることにする.

その結果,p.158から述べてきたことは表10-3のようにまとめられる.

(5)標準電極電位との関係



 HSAB原理と標準電極電位とは一見無関係に見えるが,原子の性質として考えると両者はかなり密接な関係にあることが分かる.

標準電極電位はイオン化エネルギーおよび水和エネルギーに依存するが,式(10.3),つまりはイオンと電子との親和力の大きさに支配される.

例えば銅のEoは正であり,水和した銅(U)イオンより電子と結合した金属銅の方が安定なことを示している.(ΔG<0,式(10.13))

アルカリ金属,アルカリ土金属,亜鉛などイオン化傾向の大きい金属のEoは負で,イオンが電子を捉えた状態は水和イオンより不安定である.

(電子との親和性小)一方硫化物イオンS2−、は酸化物イオンO2−より分極率が大きく,金属イオンの硫化物結晶は酸化物結晶よりも分極が著しい.

これは金属イオンが相手陰イオンの電子を引き付ける程度が大きいことを意昧する(式7.3).

それゆえ,安定な硫化物を与える金属イオンは電子との親和性が大である.

表10-2の第1,2,4属の各イオンは表10-1の標準電極電位が正か,絶対値の小さい負の値を持ち,電子との親和性が大きいことを示す.

そのため概略次の関係が成立する.

 軟らかい金属イオン→標準電極電位の大きいイオン
 硬い金属イオン  →標準電極電位の小さいイオン

 人類は色々の金属を用いて文明を築いてきたが,金属の用いられ始めた年代と標準電極電位とをプロットすると,Eoの大きい金属ほど古代から利用されていたことが分かる.(図10-4)



Eoの大きい金属は製練が容易であるだけでなく,自然界に硫化物として存在し,色が黒っぽく重くて目だちやすかったためもあって早い時期から人類に用いられたと理解することができそうである.


資料提供 住友金属鉱山会社



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