3.遷移金属元素を含む酵素の機能
遷移金属イオンを補酵素または捕欠分子族として含むいわゆる金属酵素は多様な機能を持つが,そのうち特に重要なものは表12-2のように整理される.
ここでは代表的な例についてケーススタディー的に話を進めるが,この科目の性格上,生命現象の解明よりも各元素の個性が,いかに生体機能を担う上に反映されているかに着目する.
(物質代謝を助ける酵素の例として,空気中の窒素分子からアンモニアをつくる窒素固定酵素としてのニトロゲナーゼが重要であるが,これは第13回で扱う.)
(1)亜鉛酵素の加水分解触媒
亜鉛は周期表2P族の元素で通常は遷移元素に数えないが,生物無機化学分野の習慣に従い一応他の遷移元素とともに論ずることにする.
亜鉛は生体に必須な元素であり,そのイオンを含む金属酵素で性質の判明しているものは少なくとも十数種あり,Zn-タン白質結合の解離定数(安定度定数の逆数)は10-10mol dm-3以下とされている.
亜鉛錯体の特色としては,+2価イオンがかなり高い電荷密度をもち,しかも+2価に固定されていること,配位数が4または6,時には5と変化しやすいことが挙げられる.
これはZn2+の電子配置がd10型をもつことによる.
亜鉛イオンの役割はルイス酸として基質と相互作用し,基質中の原子ことに炭素原子の電子密度を減少させ,求核試薬の攻撃を受けやすくすることによって反応速度を増加させる.
このようなルイス酸触媒作用は均一系触媒の代表例であって,有機化学反応にはしばしばみられる.(図12-5)
金属酵素の他の部位の役割は基質との分子間相互作用によって基質と亜鉛イオンとの結合が生じやすいような状況(配位環境とよぶ)を作ることにある.
代表例として図12-6にはカルボキシペプチダーゼの作用を説明する一つの考え方を模式的に示した.
カルボキシペプチダーゼは夕ン白質やペプチドのアミド結合をC-末端(カルボキシル基が遊離状態にある方の端)から切断する機能を持つ.
この中でZn2+イオンはぺプチド鎖の69番及び196番ヒスチジンのイミダゾール環窒素原子2個及ビ72番グルタミン酸の側鎖カルボン酸イオンの酸素原子と結合している.
多分水分子1個も配位してZn2+は配位数4を持っている.
基質の結合状態例として示したグリシルチロシンは,チロシンのカルボン酸イオンが酵素の145番アルギニンのアミノ基と,チロシンのアミノ基とグリシンのアミノ基とが248番チロシンのフェノール部分と水素結合を介して結合する.
またチロシンの芳香環が酵素の疎水性部位と相互作用を持つことによってグリシルのカルボニル基が亜鉛イオンに安定に配位するのを助けている.
加水分解を生じる水分子は270番グルタミン酸の側鎖カルボン酸イオンと結び付き,Zn2+イオンに結合したカルボニル基の炭素原子に近づいてゆく.
亜鉛イオンがカルボニル基の電子を引き付けるので,この炭素原子の電子密度は低下しており,水分子の攻撃を受けやすくなっているわけである.
酵素のぺプチド鎖の色々のアミノ酸残基は基質と亜鉛イオンとの結合を助けている.
(2)電子伝達作用
多くのタン白質がこの機能を担っているが,その生命機能に果たす役割は池の科目で触れられる機会が多い.
ここではタン白質の構造や,金属イオンの果たす役割が明らかにされている例として,ブルー銅タン白を取り上げる.
ブルー銅夕ン白は銅イオンとぺプチドからなる複合夕ン白質の総称で,600nm付近に強い吸収帯を持ち,またE S Rスペクトルにも特徴を持つ複合夕ン白質である.
1分子中に銅原子T個を持つものと,2個以上をもつものとあり,多種類のものが自然界に分布し種々の機能を示す.
図12-7に示すのはパセリの葉などに含まれるプラストシアニンというブルー銅タン白の一種で,分子量10,500をもち,葉縁体の中で電子伝達機能を担うことが知られている.
オーストラリア・シドニー大学のフリーマン教授は溶液条件を種々に変えた水溶液中から結晶させたプラストシアニンをX線回折法で調べ,結晶構造を明らかにした.
1分子中のアミノ酸残基数は99で,いわゆるβ鎖をつくり銅原子1個がその端の方に位置する.
中性溶液から得た結晶の銅周りには37番,87番のヒスチジンのイミダゾール窒素原子,84番システインおよび92番メチオニンの硫黄原子が配位し,ゆがんだ四面体を作っている.
このときのCu-N及びCu-S距離は表12-3に示すとおりであるが,pHが低い所から得られた結晶中では87番のイミダゾール窒素原子にはH+がついていて,原子間距離も大きい.
銅が1価イオン(無色)から2価(青色)に酸化されると原子間距離が減少するが,基本的な配位構造は変化しない.
このような変化は結晶構造解析結果に基づいた分子模型の映像でみることができる.
また銅イオンの酸化還元に伴う可逆的な色の変化は実験でみることにする.
これまでみてきたように,生命に無関係ともみなされたことのあった金属元素化合物は,存在量こそ少ないが生命に不可欠な機能を担っており,その時各元素の個性を反映した錯体の形をとっていることが分かる.
このような分野はごく新しく発展してきた分野で,生物無機化学と呼ばれ,錯体化学の重要な領域を形成しつつある.
資料提供 名古屋大学理学部教授 山内 脩