ブルターニュ地方南、ロワール・アトランティック(Loire-Atlantique)県西端。パリからナントを経由するTGVで半島の先端ル・クロワジック(Le Croisic)まで、3時間15分前後。取材先は、塩田と協同組合、関連団体、塩田博物館とル・クロワジック、バ・シュル・メールの街、城塞都市ゲランド。

鉄器時代(紀元前800~50年)には、濃縮した塩水(かん水)を火にかけ、水を蒸発させて塩を採集する方法が用いられており、ゴール・ローマ時代の遺跡に窯が見つかっている。1000年ほど前に水田式(天日塩田式)の生産方法が採用されたと考えられているが、詳細は不明。ゲランド半島での最初の塩田maraissalantは3世紀、現在の形式は9世紀頃からとの研究もある。塩田の所有はブルターニュ公や僧院から時代を経て貴族へと移る。城塞都市ゲランドの発達。15世紀から18世紀にかけて、ロワール河を輸送経路とする国内需要のみならず、ヨーロッパ中の受注を受け、海上輸送によりアイルランド、オランダ、スペイン、イギリスへ輸出(食肉や魚の塩漬け製造のため大きな需要があった)。アンシャン・レジーム下では国内需要の50%を西海岸から供給されていた。19世紀、ナポレオン統治下のイギリスとの戦争状態により輸出が途絶える。国内販売は活性化したが、ロワール河が航行不能となり、悪天候などにより収穫が減る。19世紀には上記の国々で塩生産が始まり、国内でも東部の岩塩生産が促進されるなど、ゲランドは不況に陥る。20世紀初頭には塩田所有者=仲介業者であり、個人主義的な生産を手がける塩職人paludierは、自立的な経営ができなかった。20世紀に南仏カマルグ等で塩の大規模な工業生産が始まり、競争の激化に加え、大戦による労働力の喪失など諸々の原因により、手工業によるゲランドの塩生産は衰退する。

【 塩組合の発展 】
戦後の衰退期、塩職人は兼業を強いられ、次世代が家業を継ぐことを望まず、離散する。62年まで仲介業者は一定した値段で塩を買いつける。他方で、フランス革命以来、国民統合のもとにブルターニュの言語や地域文化は抑圧され、行政面でも差別されてきた。だが76年のフィニステール県プロゴフの原発計画反対運動の勝利により、ブルターニュ西部はエコロジー運動の拠点となる。70年代の各地のリゾート港開発の流れをうけ、ゲランドでも塩田周辺の大規模なマリーナ開発が計画される。それに対し、塩職人の家族や塩と関わりの深い商家の人、住民らによる反対運動が起こる。シャルル・ペローら外部の「68年世代」の学生らによる塩田崩壊をテーマとする演劇活動などが関心を広め、折からの石油ショックもあって、地方自治体が予算案を否決する。71年ナントでの労働闘争、72年のシシリア産塩の荷揚げ反対運動をきっかけに、それまで個人主義的な家内産業を営んできた塩職人たちは、はじめて統一組織「ゲランド塩生産者集団」を結成する。当時の全職人320人中280人が参加。仲介業者を相手に値段交渉を始め、卸値を40%以上引き上げさせる。以後、塩蔵の建設、79年から自治体予算による塩職人養成センターの設立と、協同組合組織へ段階的に発展していく。「生産者集団」は、「Confédération paysanne」にも参加、また、「AB(Agriculture Biologique)」の認定証を農水省に設置させた有機農業推進団体「Nature et progrès」とも関連が深く、有機農業生産物としての基準を作成している。

【 天日塩と塩田、地域の特色 】
戦後の衰退期、塩職人は兼業を強いられ、次世代が家業を継ぐことを望まず、離散する。62年まで仲介業者は一定した値段で塩を買いつける。他方で、フランス革命以来、国民統合のもとにブルターニュの言語や地域文化は抑圧され、行政面でも差別されてきた。だが76年のフィニステール県プロゴフの原発計画反対運動の勝利により、ブルターニュ西部はエコロジー運動の拠点となる。70年代の各地のリゾート港開発の流れをうけ、ゲランドでも塩田周辺の大規模なマリーナ開発が計画される。それに対し、塩職人の家族や塩と関わりの深い商家の人、住民らによる反対運動が起こる。シャルル・ペローら外部の「68年世代」の学生らによる塩田崩壊をテーマとする演劇活動などが関心を広め、折からの石油ショックもあって、地方自治体が予算案を否決する。71年ナントでの労働闘争、72年のシシリア産塩の荷揚げ反対運動をきっかけに、それまで個人主義的な家内産業を営んできた塩職人たちは、はじめて統一組織「ゲランド塩生産者集団」を結成する。当時の全職人320人中280人が参加。仲介業者を相手に値段交渉を始め、卸値を40%以上引き上げさせる。以後、塩蔵の建設、79年から自治体予算による塩職人養成センターの設立と、協同組合組織へ段階的に発展していく。「生産者集団」は、「Confédération paysanne」にも参加、また、「AB(Agriculture Biologique)」の認定証を農水省に設置させた有機農業推進団体「Nature et progrès」とも関連が深く、有機農業生産物としての基準を作成している。

・コリン・コバヤシ、『ゲランドの塩物語—未来の生態系のために』、岩波新書、2001年。
塩組合と「 Terre de Sel 」HP
塩田博物館 HP(塩田用語の解説)
ル・クロワジック HP
食と国際協力を考える日本の団体「日本ネグロス・キャンペーン委員会」(塩組合との協力)
ロワール地方HP

園部 裕子 
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