「フランスの庭(Jardin de la France)」と称される一帯に、ルネサンス時代の城が点在する。 ユネスコ世界遺産にも登録された風光明媚な地域で、ロワール川が多彩な表情を見せる。 現在はロワール川に沿って、自転車用道路が準備されつつある。特にワインが有名。

ロワール川の沿岸、パリ・モンパルナス駅からTGVで1時間強。ロワール古城へはトゥールからの交通の便がよい。

トゥールに関する最初の記述は、カエサルの丘を意味するCaesarodunumという名前で1世紀のものである。4世紀にはトゥール司教(Saint Martin)の威光とその後の彼の聖遺物への熱狂によって新たな活動の中心地ができ、巡礼者たちを受け入れた。14世紀中庸からの100年間にシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、ルイ12世、フランソワ1世が繰り返し滞在している。大臣や従者たちもやってきて、フランスの実質上の首都の様相を呈し、絹の産業も盛んになった。凋落はアンリ4世の時代から始まる。普仏戦争と第二次大戦によって打撃を受けたが、1960年代以降活気を取り戻している。

ロワール川を見下ろす古来の守備の要衝に15~16世紀に改築が施されたもので、ロワール古城のなかで最もイタリア的色彩が強いヴァロワ王朝ゆかりの城である。王宮がフォンテーヌブローやルーヴルに移ってもフランソワ1世やアンリ2世までは頻繁に滞在していたが、ブルボン王朝は決定的にトゥーレーヌを離れる。とはいえ19世紀にルイ=フィリップが何度も逗留した。城壁脇にある美しいチャペル(chapelle Saint-Hubert)にはレオナルド・ダ・ヴィンチのものとされる墓がある。ダ・ヴィンチを招いたフランソワ1世は、徒歩数分の距離にある館(Château du Clos-Lucé)を彼に与えた。クロ・リュセは、ダ・ヴィンチの発明品を配した公園(Parc Leonardo da Vinci)とともに公開されている。
ロワール川の支流をまたぐ優雅な城。中世の城砦を16世紀初頭にボイエ(Bohier)夫妻が改造し、夫妻の死後、王権に渡った。1547年にアンリ2世はディアーヌ・ド・ポワチエに城を与えるが、王が死ぬと妃カトリーヌ・ド・メディシスはディアーヌにショーモン城(château de Chaumont)とこの城とを交換させる。川にまたぐように改築したのはカトリーヌ・ド・メディシス。18世紀にはデュパン夫人(Madame Dupin)のサロンとして作家・哲学者を集め、この庶民に好かれた所有者のおかげでシュノンソーは大革命の破壊を免れた。第一次大戦中には、負傷兵の収容所として開放された。

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南 玲子 
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