2.二原子分子の回転スペクトル

(1)CO分子の回転スペクトルの解析(パターン11−5)(ムービー11-4

 気体分子の回転運動を反映するスペクトルの例は,CO2分子について既に7章の1節で見た。

一般に分子の回転のエネルギーは振動のエネルギーより3桁以上小さい。

分子の回転のエネルギーは分子の慣性モーメント(すなわち大きさと質量),および回転の激しさ(回転量子数J)によって決まると考えてよい。

 図11-3は気体状態のCO分子の遠赤外吸収スペクトルであり,規則的な間隔の吸収線からなることが観測される。

このスペクトルのパターンがどのように説明できるかを次に考えよう。

 CO分子の回転の量子数は整数値をとる。

(11.16)式にこのJを代入してエネルギーを計算すると,J = 0, 1, 2, 3, …に対して,それぞれ0,2B,6B,12B,…となる(図10-4)。

したがって,隣接するエネルギー準位の間隔は2B,4B,6B,…となる。

このエネルギー間隔を左側をエネルギーの大きい方向にとってプロットすると,2Bの間隔に並ぶ。このパターンは実測のスペクトルにぴったりと一致する。

このようにして,光子を一つ吸収することによる回転の遷移は,Jの値が一つだけ変化する状態の間に起こることがわかる。

すなわち回転遷移の選択律はΔJ = ±1である。

吸収によるエネルギーの高い準位への遷移の場合はΔJ = +1であり,その遷移の振動数(あるいは波数)は

あるいは(J = 0, 1, 2, 3, …) (11.25)

  

となる。

 このようにして,実測の遠赤外スペクトルの間隔を測ることにより,回転定数(パターン11-6)を決めることができる。

CO分子の回転定数はB = 1.931 である。この実測値から(11.23)と表11-1の値を用いて,r(C‐O) = 1.128 Åが得られる。

 NO分子についても同様なスペクトル(後述)の測定と解析からB = 1.672 が得られ,この実測値からr(N‐O) = 1.151 Åを導くことができる。


(2)電子構造の考察

 第10章と本章での実験により,COとNOの違いが見出された。

COはNOに比べて,原子間距離は短く,結合力は強い。

この違いはどこから来るのだろうか。

化学結合は糊の働きをする電子によって原子核が結びつけられたものである。

この糊の分布(電子構造)が結合の強さや長さを決める重要な要因である。

CO分子はC原子から6個,O原子から8個の合計14個の電子からなる分子であり,NO分子は15個の電子からなる分子である。

その差はたった1個の電子である。

 そこで電子構造を考察してみよう。

図11-5は軌道相関図とよばれるものであり,二つの原子XとYの距離の関数として分子軌道のエネルギー変化を定性的に示している。

 第5章で説明したように,結合性の軌道は原子間距離が短くなるほどエネルギーが安定化し,左下がりになる。

一方,*を付けた軌道は反結合性であり,原子間の距離が短くなるほど不安定になる,すなわち左上がりになっている。

非結合性の軌道は原子間距離にあまり依存しない。

結合性軌道に入った電子は全体として結合距離を縮めようとし,反結合性軌道に入った電子は原子を互いに反発させようとする。

これらの力のバランスで平衡結合距離と結合力(力の定数)が決まっていると考えてよい。

 さて,14個ないしは15個の電子をパウリの原理に従って下から詰めていく。

14個までの詰め方は当然同じである。

NO分子の15個目の電子はπ*軌道に入ることがわかる。

この反結合性π*軌道に入った1個の電子が,COに比べて結合距離を少し伸ばし,力の定数を小さくする原因となる。

 第5章でも述べたように((5.14)式),結合次数は

結合次数 = (11.26)

    :  結合性軌道に入っている電子の数

     : 反結合性軌道に入っている電子の数

のように定義されている。

(11.26)式に軌道相関図に従い具体的に数値を入れてみると,COの結合次数は3,NOは2.5となる。

結合次数と結合距離および力の定数の定性的な関係が理解できよう。

(3)NO分子の振動回転スペクトル(パターン11-9,11-10)(ムービー11-5

 赤外あるいはラマン分光法により液体や固体のスペクトルを測定すると,一つの基本振動に対して数〜数10の幅のバンドが得られる(図10‐910‐11参照)。

一方,気体分子の赤外領域に現れる振動スペクトルを測定すると,多くの鋭い線の集合が得られる(図7‐111‐6,7,8,9参照)。

これは振動に伴って回転準位の間の遷移によるためであることは,既に第7章でも述べた。

振動状態に回転構造があることは,振動準位の上に回転の準位が乗っていると考えてもよいし,回転の準位が振動によって大きく分裂していると考えてもよい。

 図11‐6は気体状態のNO分子の赤外吸収スペクトルである。

通常の直線型の中性分子の場合には,図7‐1図11‐7に示すように,回転線の並びがほぼ等間隔であり,バンドの中心からほぼ左右に一旦強くなり,再び弱くなる強度のパターンから成り立っている。

バンドの中心より高波数側にある系列は回転量子数が増える遷移であり,低波数側にある系列は回転量子数が減る遷移である。

 図11-6のNO分子の赤外吸収スペクトルは,前記のスペクトルと異なる様相を示している。1)バンド中心には強い吸収がある。

測定の分解能をあげると,この吸収は個々には弱いが,集中しているために重なり合っていたためであることがわかる。

そしてそれぞれの吸収線は2本の線から成り立っていることがわかる。2)また,バンド中心から左右に広がるほぼ等間隔の吸収線も2本の線の重なりであり,段々と分裂が大きくなっていることがわかる。

 解析の詳細は避けるが結果を述べると,次のようになる。

上記1)は回転量子数が振動基底および励起状態で変化しない()遷移である。

2)は振動状態が分裂の小さな二つの状態から成り立っていることを反映する。

さらに,それぞれの回転準位は半整数の量子数で表される。

前の項で述べたように,NO分子にはπ軌道に入った1個の不対電子がある。

π軌道には結合軸回りの軌道角運動量()があり,電子はスピン角運動量を持っている(第2章3.(1)参照)。

したがって,この1個の不対電子の二つの角運動量がベクトル的に結合した状態として,分子軸の角運動量成分()がの二つの電子状態ができる。

これが上記2)の原因である。

このΩと分子回転の角運動量(純粋に回転だけの角運動量を表す場合Nと書く)がベクトル的に結合した角運動量()が回転のエネルギーを決めることがわかっている。

結局,回転のエネルギー準位が半整数で表現できることになる。

また,軌道角運動量を持つことからの遷移が生じる。

以上に述べた分光学的理論と,NO分子の実測の赤外スペクトルのパターンから,電子状態がスピンに関して二重項状態()であり,軌道角運動量()を持つπラジカル(不対電子が分子面(NOの場合には分子軸)から垂直の方向に存在するラジカル)であることがわかるのである。