第12章生体機能を支える金属化合物
金属元素は生命に関係が薄いと考えられたこともあったが,微量ではあってもすべての生物に不可欠なものがかなりある.
金属元素化合物は色々の役割を果たしているが,単に体を支えるだけでなく,生命に直結する特別な機能をも担っている.
多くはアミノ酸・タン白質・特殊なテトラピロール環などを配位子とする錯体として生体中に保持され,必要に応じて運搬され,機能性化合物に変えられる.
生命の維持に欠かせない金属錯体の役割が分子レベルで解明されている
2,3の例を取り上げよう.
1.生体に不可欠な元素
(1)生体中の無機物
地球に存在する元素は約1OO種類あるが、すべて19世紀には生命機能を担う物質は特殊な神秘的な力を持つと考えられたが,有機物・無機物という分類は当時の名残である.
今日,有機物とは炭素化合物のこととされているが,生体物質は水以外は大部分が炭素化合物からなっている.
しかし生体には有機物の主要構成元素である炭素・水素・酸素・窒素のほかにも種々の元素が少量ながら含まれていて独特の機能を担っている.
表12-1は生体に不可欠な元素を海水中の濃度と対比したものである.
生命は海中で発生し,かなり長い時間を経てから上陸したと考えられているが,生体に必須の元素は海水中濃度の高いものに多い.
しかし海水中での濃度が低いにもかかわらず,あらゆる生物に不可欠な元素もある.また特定の生物種にだけ必要な元素もある.
真核生物にも原核生物にも不可欠な微量元素は,(ヨウ素を例外として)すべて遷移金属元素で,後述のように独特の重要な機能を担っている.
鉄・銅・亜鉛・コバル卜・モリブデンなどが代表である.
(2)生体中の金属元素およびその化合物の役割
金属元素は生体中で体液に溶けていたり,タン白質と結合したり,固体になっていたり種々の形をとるが,その役割からみると次のように大別される.
a) 構造を支える物質
リン酸カルシウムからなる動物の骨や歯,炭酸カルシウムからなる貝殻,ケイ酸からなるケイ藻の骨格など
b) 体液中のイオンとして
血液その他の中で浸透圧やpHを調節したり,電荷をもつ他の生体物質の電荷を中和する役割を果たし,また,刺激を与える引金のような機能を担う.
c) 特定な機能の担い手
遷移金属元素の多くはタン白質に取り込まれ,複合タン白質の捕欠分子族または補酵素として存在し,電子伝達・物質代謝・情報伝達など生命に不可欠の独特な機能を発揮している.
金属元素化合物の特色を顕著に示しているのはc)なので,本回は主にこの点を取り上げる.
(3)金属錯体が担う機能
生体内で金属元素はぺプチド・マクロサイクル配位子などの特定な有機化合物と結合して錯体を作っており,タン白質と結合していわゆる捕欠分子族となっていることが多い.
すなわち,ぺプチドをつくるアミノ酸残基のカルボン酸イオンの酸素原子,窒素原子(アミド結合の窒素のほか,遊離のアミノ基,ヒスチジンのイミダゾール環窒素など),硫黄原子(システインやメチオニン中の硫黄)などが配位原子となる.(図12-6,12-7)
また図12-1に示すような環状のキレート配位子も重要である.
これら有機化合物の構造は細部では異なるが,主要部分は共通で,4個の窒素原子が二重結合を持つ炭素原子と共に平面を形成している.
このような環状配位子をテトラピロール環配位子という.
このような形で生体内に存在する金属化合物は,酵素の重要な機能の担い手であり,補酵素と呼ばれることも多い.
これらの金属錯体を複合タン白質の捕欠分子族とみるか,補酵素とみるかは,タン白質の主要部分との結合が切れやすいかどうか,結合切断が可逆的か否かによってきめられるが,必ずしも明確ではない.
補酵素を持つ酵素は数多くあり,触媒作用を受ける分子(基質という)や促進する反応が異なる酵素でも同じ補酵素を持つこともある.
補酵素には純粋な有機化合物もあり,金属錯体だけが補酵素になるわけではない.
しかし,現在確認されている酵素約4500種のうち約3分の1が,何らかの金属イオンを含んでいる.
その中には単に電荷を中和するだけの役割を持つものもあるが,酵素機能の主要部分を担うものも多くある.
補欠分子族とは呼ばれるが実はスタープレーヤーの働きをしているわけである.
生体中にある金属錯体はすべてが酵素機能を担うわけではない.
必要な金属イオンを一時貯蔵しておくために,水に溶けにくい金属錯体の形が利用されることもある.
また金属イオンを必要な生体部位に運搬するのに,安定なコロイド溶液として移動しやすい錯体の形がとられることもある.
本回では金属イオンの保持,運搬,2,3の酵素機能の例について詳しくみることにする.