第13章 無機物と有機物をつなぐ
無機化合物と有機化合物の間には,古くからかなりはっきりした線が引かれ,高校の課程でも別々に学習されてきた.
金属錯体では,金属原子と有機分子またはイオンの間に結合を生じる例がかなりみられた.
しかし多くの場合,金属原子(イオン)と直接結合するのは酸素・窒素などの原子であった.
金属原子−炭素原子間にM-C結合をもつ化合物を有機金属化合物と呼ぶ.
典型金属元素化合物ではM-C結合は通常の共有結合と大差ない.
しかし遷移元素は特殊な,通常の有機物無機物どちらにも似ない化合物を与える.
それらは珍しいだけでなく,化学結合の理解を広げ深めるのに役立つ.
また独特の触媒作用を持つ等,実用面からも注目される(表13-1).
1.“異常な”化合物
(1)ツァイゼの塩
1827年コペンハーゲンの薬局経営者ツァイゼは不思議な結晶を得た.
白金を王水(塩酸と硝酸の3:1混合物)に溶かした黄色溶液にカリウム塩を加えると沈澱を生じるが,これをエタノ一ルで処理したら黄色針状結晶が得られた.
分析結果は KPtCl3C2H4という化学式を与えた.
当時の知識では有機物と無機物は全く別とみなされており,有機物と金属元素が一緒になった結晶が存在することなど想像もつかなかった.
ツァイゼの研究は認められなかっただけでなく,ぺテン師だといわれもした.
エチレンC2H4さえ知られていない時代だから無理もなかった.
この結晶は発見者にちなんでツァイゼ塩と呼ばれたが,1958年に図13-1(a)の構造をもつことが判明し,以後続々と発見される有機金属錯体の最初の例となった.
2価白金イオンに3個の塩化物イオンとエチレン1分子が配位しており,C-Cの中点とCl-3個が平面四角形をなしている.
(2)金属カルボニル
19世紀の末炭酸ナトリウムをつくる工業は大規模になり,ソルベー法という炭酸水素ナトリウム製造方法が盛んになった.
アルカリに侵されにくい材料としてはニッケルが便利で,工場ではニッケル管が用いられていた.
しかし時々これに穴があく事故が起った.
これを調べたモンドは,気体中に微量含まれる一酸化炭素がニッケルと反応して揮発性物質を生じる次の反応を発見した.
Ni+4CO [Ni(CO)4] (13.1)
この右向き反応は比絞的低温で起こり,沸点47℃の液体テトラカルボニルニッケル(0)を与える.
これを加熱すると左向き反応が起こり金属ニッケルを生じる.
低温で一酸化炭素と反応するのはニッケルだけで,粗ニッケル中の不純物である鉄やコバルトは高温高圧でないと一酸化炭素と反応しない.
この差を利用してニッケルをテトラカルボニルニッケル(0)に変え,蒸留して精製した後,熱分解させれば極めて高純度のニッケルが得られる.
当時始まった真空管の製造には高純度ニッケルを必要としたので,この方法で得た「モンドニッケル」は重要な先端材料となった.
さらに類似の方法で鉄・クロム・モリブデンなども精製されるようになった.
これらの構造は1920年以後X線回折法で調べられ,対称性の高い形が明らかにされた.(図13-1(b,c,d))
大部分は反磁性で,他の物性測定からも,中心金属原子は0価状態であることが示された.
1950年以後,多くの金属カルボニル化合物が合成され,錯体蝕媒として重視されている.
(3)フェロセンとシクロぺンタジエニル錯体
1950年頃英国のポーソン等は,他の化合物を合成する試みの途中で式(13.2)の反応でFeC10H10の組成をもつ橙色の結晶を得た.
X線回折の結果,構造は図13-1(e)のように決定され,反磁性であることから低スピンの2価鉄イオンにC5H5- 2個の配位した錯体であることが判明した.
また類似構造をもつべンゼンの錯体も明らかにされ,芳香族有機分子が金属原子をはさんだいわゆるサンドイッチ化合物が各種合成された.
C5H5MgBr+FeCl2 →[Fe(C5H5)2]+MgBr2+MgCl2 (13.2)