2.原子分子概念の確立
近代化学の基礎は,「すべての物質は元素から成る」というラボアジエ(A.L. Lavoisier)の1789年の提案によって築かれた.
元素は物質を構成する根源となる要素であって,ラボアジエが認識した元素の数は33(ただし,光素と熱素を含む)であった.
ラボアジエによれば,それぞれの物質は特有な構成元素の種類とその構成割合を持つことになる.
それは,多様な物質の存在を少数の元素の組み合わせに還元し,物質の特徴を一つの原則に基づいて認識する道を開いた点で,化学の転回点となる業績である.
しかし,ラボアジエは,「何故少数の元素が極めて多様な物質群を作り出すのか?」という疑問に対して答えなかった.
それには原子・分子の発見まで待たねばならなかった.
ドルトン(J. Dalton)は,1801年に混合気体の分圧の法則について発表を行っているが,そのメカニズムを考えているうちに「気体が固有の重さを持つ粒子からなる」という原子概念に到達した.
その考えは,「2種類の元素から成る複数の化合物を比較すると,成分の重量比率が簡単な整数比になる」という倍数比例の法則を導くものであった.
ドルトンは1803年に物質の最終粒子の重さの研究発表をした後,1808年に「化学の新体系」の著書によって原子概念を確立した.
しかし,ドルトンの原子概念は,多分に思弁的なもので正確な定景的な実験的事実に裏付けられたものではなかった.
ドルトンは原子記号に図形を用いたが,それは原子をこれ以上分けることのできない最終の粒子という考えを反映している.
また,原子量は水素を基準としているが,同種元素の結びついた分子の概念を持たなかったために実験の不正確さ以上に混乱があった.
原子概念に定量的な裏付けを与えたのは,スウェーデンの化学者ベルセーリウス(J.J. Berzelius)である.
彼は精密な天秤を考案して,当時の水準としては,極めて正確な原子量表を1818年に発表した.
彼は,ドルトンの用いた原子の図形的な記号の代わりに今日のようにアルファベット文字を使うように改めた.
ラボアジエ,ドルトン,ベルセーリウスの研究の流れは,物質を構成する元素が本質的に原子から成り立っていることをゆるぎないものとした.
しかし,原子概念はあくまでも概念であって,直接的な原子・分子の認識に基づくものではなかった.
原子・分子の直接観測のきっかけは,気体に注目することによって生まれた.
アボガドロ(A. Avogadro)は,1811年に気体の体積について仮説を提案した,すなわち,
「同温度,同圧力,同体積の気体は,同数の分子を含む.」
この仮説は,当時,水素,酸素,窒素などの元素単体が原子から成るのか2原子分子から成るのかを決め,原子量の混乱に決着をつける基礎となった.
ここでは,むしろ,この仮説を「化学者が最初に原子分子を実験的に認識したものであった」と解釈できる点に着目したい.
アボガドロの仮説を言い直して,1モルの気体を扱うようにする.すると,仮説は,「1モルの分子数をアボガドロ定数と呼び,その気体の体積は同温度,同圧力で一定である.」と等価である.