「共和国」という、この困難なもの(その3)
まず、これまでの復習。フランス式の「政教分離」「ライシテ」とは、宗教が公的な場に介入することを防ごうという趣旨であり、政策としては「空間的な排除」という方式をとります。
具体例をとおして考えているところです。今や法律によって公に認められた判断なのですが、スカーフをかぶったムスリムの女子生徒は、公立中学校の教室には入れません。たとえシンボリックなものであっても(つまり「実害」はないにもかかわらず)排除する、というべきか、むしろシンボリックなものだからこそ(たとえ物理的にはささやかであっても)排除する、というべきか。現在の議論は後者ですね。
1905年12月9日の法律により、フランスは「公的な空間」から、宗教にかかわる人や物を排除することを決めました。とはいえ、そのころ小学校の教室に飾られていた十字架と、1989年のスカーフは、決して等価ではありません。なぜなら、カトリック教会は、ヨーロッパ文明の中核を占める巨大にして権力的な「制度」なのであり、これが若く未熟な「共和国」と対峙していたのです。
一方、今日スカーフを着用する者は、「移民+ムスリム+女性」という三重にマージナルな存在として、「共和国」から排除されている。彼女たちは排除されているという実感をもっており、それが動機となって採用した「異議申し立て」のシンボルが、小さなスカーフであるともいえるでしょう。
「信仰の自由」という問題提起には迫力があります。トルコの片田舎、どこかの寒村で、イスラームの伝統と深い信仰につつまれて育った女性に、いきなり全身を覆うヴェールを脱げといえば、それはスカートを脱げというようなものだ、という指摘は、わかります。女性の頭髪は性的なものだから人目にさらしてはいけないというイスラームの教えがある、という解説も、ここでは有効です。でも「ムスリム女性」を一括りにして「信仰の自由」という基本的人権の問題に還元し、いきなり異文化への「寛容」を説くのは、やはり短絡的な思考ではないでしょうか。
トルコの政治家の妻たちが身につけた華麗なスカーフ(エルメスかな?)を目にすると、これはアイデンティティの主張にちがいない、と感じます。信仰の営みと無縁だとはいいません。しかし目標は「マニフェスト」なのですから、まさに「公的な場」に登場し、排除されたりすることも、意味のあるプロセスとなるのです。「政教分離」派がスカーフに対して苛立つのは、自分たちのロジックを彼女たちが逆手にとって闘っているからにほかなりません。あたりまえのことですが、スカーフの着用が禁じられていなければ、そこには「違反性」も「異議申し立て」の衝迫力も生じません。このやりとりには、いわば相乗効果がある。そのために「スカーフ」は奇怪なまでにシンボル化されてゆき、世界中が注目するなかで、着用の是非をめぐる議論が「盛りあがって」しまうのです。
それにしても、未成年のムスリムたちは、本当に主体的な選択をしているのだろうか。少女たちにスカーフ着用を強要し、「異議申し立て」を煽動するムスリムの男たちがいるのではないか。少女たちは、むしろ抑圧を受けている犠牲者にちがいない。保守的なムスリム男性こそが、共和国の原理をまっこうから否定する、悪しき共同体主義(否定的な意味での「コミュノタリスム」)の温床なのである! ――これはマスコミで喧伝された、あるいは執拗に示唆された物語であるようです。この問題に関するメディア批判は、以下を参照。Pierre Tévanian, Le voile médiatique : Un faux débat, Liber, 2005.
「スタジ報告書」は、最終的には、社会秩序がこれ以上乱されることに「歯止め」をかけるべきだ、という理由を掲げ、「公立学校におけるこれ見よがしな宗教的シンボル着用の禁止法」を提案することになりました。「問題はもはや、信仰の自由ではなく、公の秩序である」と報告書のなかにも明記されています。
「公的な空間」では宗教に対する厳格な中立性を確保し、「私的な空間」において個人の信仰の自由を保障するというアイデアは、わかりやすいものだから、今日でも、あらゆるところで、とりわけテレビや新聞などのメディアで反芻されています。じつのところ――わたしが今書いているようなウェブサイト用の文章もそうですが――数分で頭に入るような単純明快なロジックは、概して警戒すべきものなのですけれど。
「公的な空間」は均質な共和国原理につらぬかれ、文化の多様性は「私的な空間」にそっと収納されている。そんな共和国イメージが目に浮かびます。しかし、これは捏造された理想像。そもそも「公私」が空間的にぬりわけられるという話自体が、まやかしではないか……。
「スタジ委員会」のメンバー、社会学者のアラン・トゥーレーヌも、完全に「公私」の分離ができるなどと単純に考える委員はいなかったと証言しています。でも、そうだとすれば、「ライックな共和国」はいかに定義されるのか? 議論はふりだしにもどった感じです。この困難な問いかけについて、政治哲学のアラン・ルノーとトゥーレーヌが語り合った本には、大いに啓発されました。Alain Renaut, Alain Touraine, Un débat sur la laïcité, Stock, 2005, pp. 40-41.
「スタジ報告書」は、1名の棄権があったほか、メンバーの全員が賛同して提出されました。その1名とは、歴史学・宗教社会学のジャン・ボベロ。棄権の理由は、今回の立法がマイノリティをターゲットにしていることへの違和感です。18世紀末、フランス革命の時点の「ユダヤ人」が、今日の「ムスリム」にかわっただけなのだ、と。Jean Baubérot, Laïcité, 1905-2005, entre passion et raison, Seuil, 2004, p. 189.
第三共和政期のプロテスタント研究から出発した歴史家の判断に、わたしは大きな共感をおぼえています。正直のところ、1905年のカトリック教会を引き合いに出して、現代のムスリムという組織化されていない集団に対応することには、何かごまかしがある、と感じていたのです。じっさい、「スタジ委員会」が結論したように、もはや「信仰の自由の問題」ではないのだとしたら、なぜ「宗教」にかかわる禁止によってマイノリティを拘束するのでしょうか。共和国が、正面から「公の秩序の問題」として、文化の多元性と向きあうことの困難さを、わたしたちは想像すべきなのでしょう。つまり、とりあえず、間接的な「歯止め」をかけたということなのでしょう……。
ジャン・ボベロは必読です。PUF, Que sais-je ? の文庫に2冊、基本文献があります。Histoire de la laïcité en France(2000)、Les laïcités dans le monde (2007)。
日本語で読める最も充実した文献は、内藤正典・坂口正二郎編著『神の法vs.人の法』日本評論社、2007年。もちろんトルコもふくめ、ヨーロッパを横断的に比較検討していること、憲法学と社会学のコラボレーションであることが、大きな特徴です。
わたし自身は、文学好きの立場から、前著で1905年に至る道を概観し、その延長上にある現代の「ライシテ」に、目を向けはじめたところです。『宗教vs.国家―フランス〈政教分離〉と市民の誕生』講談社現代新書、2007年。
(反省:ブログ調の軽い文体で、とかいいながら、ただの「ですます」調になりました……)