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4冊の書物 あるいは柏倉先生について
純粋な著作は、詩人の語り手としての消滅を必然的な結果としてもたらす。詩人は主導権を語に、相互の不平等性の衝突によって動員される語群に譲るのである。そして語群は、あたかも宝石を連ねたあの玉飾りの上の灯影の虚像の一条の連鎖のように、相互の間の反射反映によって灯火される。古来の叙情詩に息遣いとして、はっきり認知され得る呼吸作用に代わりつつ、あるいは文章の熱烈で個人的な目標に取って代わりながら。
『ステファヌ・マラルメ「賽の一振りは断じて偶然を廃することはないだろう」原稿と校正刷、フランソワーズ・モレルによる出版と考察』と題した画板のようなサイズの書物がとどいたのは、放送大学の卒業式がおわって間もなくのこと。生成の白の瀟洒なソフトカヴァーをめくるとセピア色のファクシミリのページがあらわれました。
詩人の手稿、赤鉛筆で字体や印刷の位置を指示した校正刷り、その指示にしたがって組みなおした「賽の一振り」の新しい姿。詩句の一語一語をマラルメの清冽なイマージュの戯れのなかに解き放つ詳細な注釈のページ。いくつもの要素によって構成されたこの書物は、あえていうなら「贅沢なまでに教育的」なものに思われます。
L'œuvre pure implique la disparition élocutoire du poëte… 注釈のページで久しぶりに出会った「詩の危機」の一節を上に引きました。謎めいた文章の響きに魅了されたわたし(フロベールやボルヘスのimpersonnalismeに惹かれていた30代のわたし)にとって、マラルメは難解にして深遠、高踏的な文学の殿堂にまつりあげられたinaccessibleな詩人でした。
その詩人を、アカデミズムのほの暗い聖域から共和国の明るい祝祭空間へと誘い出したこと―柏倉先生がマラルメ読解にもたらした貢献を、とりあえずそうまとめておきましょう。
報道の最前線に立ちながら何十年も暖めつづけた詩人の肖像と文献調査の集大成である『生成するマラルメ』も、J-L.ステンメッツの伝記の翻訳も、インターネットに立ち上げられた『詩集』単語インデックスも、そして今回の「賽の一振り」の原稿と校正刷の紹介も、ひと言でいえば、万人がアクセスできる、愛好家なら読者になれるという意味で「民主的」であり、どこか「市民的」な相貌を湛えているかのようなのです。(Index des mots des poésies de Stéphane Mallarmé : http://www.campus.ouj.ac.jp/~kashiwa/)
じつは「贅沢なまでに教育的」という形容は、柏倉先生にささげる言葉でもあります。アカデミズムの階層性にはしばられぬウェブ空間ですから、いかにも次元の異なるところにふわりと飛ぶことにして、こちらは放送大学の3科目の印刷教材が3冊の書物になったという話。
卒業式と謝恩会の会場でお目見えした「放送大学叢書」に、どのぐらいの方が気づいてくださったでしょうか。教材をリライトして、表題をアトラクティヴなものに変更し、巧みにデザイン性とコストの折り合いをつけた軽やかな書物です。手にとってみれば、豪華で重厚な装丁だけが知的な書物の夢ではないことが、きっとおわかりになるでしょう。
この叢書、どこにもお名前は記されていませんが、柏倉先生の企画力の成果です。とりわけ『音楽家はいかに心を描いたか』については、みずから校正刷に目を通されるほどの熱意を傾けられた。昨年10月に永眠された笠原潔先生の遺著となってしまいましたが、研究者にとって、これ以上の手向けはありますまい。先生の誇り高い闘病生活に、同僚のわたしたちは深い敬意をいだいておりました。
『動物の生存戦略』の著者とはじめて出会ったのは、20年ほどまえのこと。駒場に着任したばかりのわたしは、女性教官がついに二桁になった(300名の教授会ですよ!)記念と称して、「性差文化論」というテーマ講義を同僚の女性たちと一緒に企画したのですが、そのとき、まっ先にお願いした講師のひとりです。わたしたちも若かったし、日本のオトコ社会は、それはもう、今よりひどかったわけですから、意気投合して憤慨するための話題は、それこそ、山のようにありました。それはともかく、動物の行動生態学は、目から鱗という感じのエピソードに満ちています。自然界のオスとメスの話を、ジェンダー・スタディーズの寓話として読むのは、ちょっと邪道かもしれませんけれど、啓発されることまちがいなし。
ここで話はゆらりと柏倉先生のほうにゆれもどるわけですが、やや高級な比喩を使えば、副学長としての先生は「共和国」というより「EU型」の大学運営を心がけておられたように思われます。単一で統合的な評価システムに基づく中央集権的な管理社会ではなく、多文化社会に適応するために「補完性原則」を援用なさった。わかりやすくいえば、組織の末端のクリエイティヴな発言を汲みあげ、さまざまの意図や企画をもつ集団の活動を支援するという意味です。管理職と末端の現場とのあいだに、歴然とした性差、ジェンダー構造の歪みのある日本の社会では、こうした組織運営の手法が、おのずと「男女共生社会」の推進につながること、皆さん、おわかりでしょう?
教育の現場が好きというのは、柏倉先生の本音にちがいありません。めざましく進歩した学生や将来有望な研究者のことが話題になると、まるで食欲旺盛な人が贅沢な料理をまえにしたときのような表情をお見せになる。停年退職なさったあとも、世田谷学習センターの客員教授をつとめられるとか。わたしも近場でお世話になっているセンターですから、先生のクリエイティヴな企画に参加してみようかな、と考えています。教員としてよりも、むしろ、生涯学習をこころざす、ひとりの市民として。