「普遍」と「特殊」あるいは「契約」としてのライシテ?
(付録:面接授業「シャンソンで学ぶフランス語」テクスト)

相変わらず考えています。11月末にJean Baubérot氏が来日するというので、羽田ゼミの聴講生(?)としては、6~7月のブログにつづくリポートを。2004年の「スカーフ禁止法」を方向づけた「スタジ報告書」については、すでに話題にしましたが(6月18日)、そのテクストを読みながら、気になる語彙を拾ってみました。

まずは第1部のタイトルに「ライシテ、普遍的原理、共和国の価値」とあるのですけれど、これが「自由・平等・友愛」みたいに並列された語彙なのか、等号で結ばれているのか、それとも三角形の内部に論理構造があるのか、謎なのです。ここで「普遍」というのは、世界中どこでもア・プリオリに通用する絶対的な真理という意味?おそらくさほど単純な話ではない。

この「普遍」を説明している文章が「スタジ報告書」にひとつだけあります――「ライシテは普遍的な目標であって、宗教の教義と社会を律する法の両立が求められる」(テクスト段落:1.2.3)。なるほど。しかし、なぜライシテは「普遍的な目標」なのでしょう?

一方ではparticularité, singularité, exceptionといった語彙を使って「フランスの特殊性」とか「例外としてのフランス」などとよく言いますよね。ウェブで検索してみるとわかりますが、郊外暴動やライシテ関連の用例が圧倒的に多いはず。社会や歴史の具体的な側面において、フランスにはフランスの固有性=特殊性がある、ということであれば理解できます。1905年に、いわゆる「政教分離法」が制定された当時、これがフランスという国家とカトリック教会との「離婚」という決断の法制化であったことは、まちがいないのですから。

「報告書」にも、「ライシテはフランスの特殊性か?」という問いかけがあります(2.3)。答えはもちろん否。この問いは、ライシテがヨーロッパの一般的な選択であるという議論の導入にすぎません。要するに、経緯は個別的であっても、理念にまで高められたライシテは「普遍的な価値」である、ということ?

(付言するなら「スタジ報告書」は、むしろparticularité, singularité, exceptionといった語彙を周到に避けながら、議論を進めようとしているように見えます。語彙の「不在」もテクスト分析の対象としなければなりません)

あるいは、こう言いかえることもできるでしょう。ライシテを「共和国の価値」と認める者たちが「フランス共和国」の市民である、と。同語反復のようですが、なにしろ「報告書」にはpacte socialという語彙が3回、 pacte républicainは、なんと7回も出てきます。ルソーの「社会契約」に依拠しての「共和国契約」が想定されているのでしょう。pacte laïqueという表現も1度だけあらわれます。「ライック契約」ではなく「ライシテ契約」と訳しておきます。

「ライシテ契約」によって成立する「ライックな共和国」?いずれにせよ「普遍的」という形容詞が「原理」という名詞に寄り添うことができるのは、この「原理」が、永続的で拘束性をもつ契約行為としてのpacteによって「承認」されているからではないでしょうか。この先の議論は、手に余りますが。

ところで「ライシテ契約」という概念の提案者、少なくとも推進者は、ほかならぬジャン・ボベロであるらしい。未読ですが、1990年出版のVers un nouveau pacte laïque? Seuilがあるほか、2000年に刊行されたJean Baubérot, Valentine Zuber, Une haine oubliée. L'antiprotestantisme avant le « pacte laïque » (1870-1905), Albin Michelには、ご覧のとおり、この語彙が括弧付きで副題に添えられています。巻末の語彙解説には、「ライシテ」とは本来、(国家と宗教の)闘争的な関係を想定したものだが、「契約」に拠って立つ者は、対立する陣営に「交渉不可能」な価値があるときには、これを尊重する、とあります。

というわけで、「スタジ報告書」は、こうした語彙運用の現場を分析する素材として、なかなか面白いのですが、ついでにもう一つ。ケベックで言われるところの「穏当な妥協」 « accommodements raisonnables »というのが、何度か出てきます。ボベロも「折り合いをつける」ことは「契約」のマナーであると言っている。

ひと言で言えば、共和国原理の再確認とカナダの(オランダ、ベルギー、アメリカの、ではない)多文化主義への目配せ、というのが、「スタジ報告書」読解の結論です。見当違いかもしれません。

最後にもう一つ、脱線です。「ライシテ」とは「原理」なのか、「イデオロギー」なのか、「制度」なのか、「政策」なのか、「歴史的事実」fait historiqueなのか、「社会現象」なのか、「文化」なのか……。もちろん、色々な議論があるのですけれど。

それは「感性」sensibilitéの問題でもある、と、ある歴史家が言っているのですね。「メンタリティ」なら思いつくけど、そうか、なるほど「感性」か……。さすが、わが尊敬するルネ・レモン様です。でも、そういわれるとコレットの身体は、たしかに「ライック」ですよ。「信仰」の有無とは異なる位相の問題構成で、「共和国の小説」を読み解くことができるでしょうか。


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さて、面接授業クリスマス番組(?)のための付録です。12月6日(土)7日(日)に東京世田谷学習センターで行われる恒例の「シャンソンで学ぶフランス語」のテクストを慌ただしく立ち上げることにしました。昨年はわたしが授業報告を書きましたが(2007年12月18日の記事)、このサイトにアクセスする学生さんも増えてきたようなので、今回は内容を予告します。

講師は笠間直穂子さん、エストレリータ・ヴァセルマンさん、そしてわたし。言葉を学びながら多様な文化に親しむという授業の構想に合わせ、今回も、笠間さんが工夫して以下のような曲を選んでくださいました。「これぞシャンソン」というスタンダード・ナンバーから、現代の知的でお洒落なポップミュージックまで。自慢ではありませんけれど、わたしたちがシャンソンをとおして皆さんを誘おうとしている世界は、ゆたかで奥深いのです。履修者は頑張って予習をしてください!
PDFをここに。

Charles Trenet : La mer - L’âme des poètes
フランスでもっとも愛されているシャンソン歌手といえば、シャルル・トレネでしょう。明るく親しみやすいメロディと歌詞は、フランス語の勉強にも適しています。今回は、数ある名曲のなかから、「海」と「詩人の魂」を取りあげます。「海」は自分で歌えるようになるのが目標です。「詩人の魂」はイヴェット・ジローが歌ったバージョンも聴いてみましょう。

Barbara : Ne me quitte pas
バルバラは自作曲も魅力的ですが、今回はジャック・ブレル作詞作曲の「いかないで」を聴きます。日本語版でご存じの方もいらっしゃると思います。物語性のあるブレル独特の世界を、バルバラはどう「解釈」しているでしょうか。

Keren Ann : Que n’ai-je ?
若手女性歌手ケレン・アンの曲を聴いてみましょう。タイトルは古風なフランス語ですが、歌詞はそれほど複雑ではありません。さまざまな動詞を使った表現を学ぶことができます。アルバム「Nolita」の収録曲です。

Francis Cabrel : Je t’aimais, je t’aime, je t’aimerai
作詞作曲ともに丁寧な仕事で知られるフランシス・カブレル。ロングセラーアルバム「Samedi soir sur la terre」からの一曲です。歌い方がはっきりしているので聞きとりやすいと思います。動詞時制のおさらいに有効です。

Alain Souchon : J’ai dix ans
人気歌手アラン・スーションの初期のヒット曲です。「ぼくは十歳」というこの曲には、子どもが使う口語表現や言葉遊びが含まれています。辞書に載っていない単語も出てきますが、あまり気にせず、子どもの世界を楽しみましょう。

笠間直穂子

 

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